2024年の3月にわたしは、タイ人女性のアノンに会いにチェンライに行った。
チェンライと言えば、ワット・ロックン、通称「ホワイト・テンプル」が有名であり、実際、中に入ってみると、光が射す雲の中にいるような、夢見心地な気分になる。空をバックに、白と銀のホワイトテンプルは輝いていて、てっぺんには、それはイケメンの仏像様が鎮座している。
しかし、アラカンにもなると、黄土色のメコン川下りをして、ラオスの川沿いの物売り屋を覗いたり、タイの北部の、これまた独特な雰囲気を漂わせるメーサイの商店街を歩き回ることの方に、興味をそそられた。どこかうさん臭くて、カオス臭のする場所って、ホント、ゾクゾクする。昔のモノクロ映像を見ている感じで、どこにも作り物っぽさがなく、人間の生活がうごめいている。
わたしが、ラオスのカフェでスムージーを飲みたい、と言ったら、
「スムージーはタイで飲むべきよ。ラオスのスムージーなんてメコン川の水で作られているわよ」
と、アノンは言い、その言葉が、わたしには酢昆布のように味わい深く感じられた。
タイとラオスの間を流れるメコン川と、タイとミャンマーの間を流れるルアック川が合流し、三国が国境を接する黄金の三角地帯「ゴールデン・トライアングル」から雄大な景色を眺めていた時、アノンの表情が神々しく見えた。日本人のわたしには想像もつかなかったけれど、タイは目覚ましい経済発展を遂げ、ミャンマーとラオスの上に、今や君臨していることを知った。
実際、ミャンマーから多くの人々が、タイに出稼ぎに来ているらしく、アノンも庭掃除にミャンマー人を雇っていた。アノンは、ミャンマー人たちに、飛び切りの笑顔で挨拶していたっけ。
また、アノンと、アノンの夫、フィリップが経営するコテージには中国人青年も宿泊していて、中庭のテーブルで4人で話をしたりした。
その中国人青年は、わたしに会うなり、
「わたしは中国人ですが、中国政府の考えには反対しております。だから、できれば国には帰りたくないのです。ここには、1年間は住むつもりです」
と、自己紹介をした。
「確かに、チベット人やウイグル人にはひどいことをしていますね」
と、わたしは思わず言い、
「コピーだらけだよね、中国は」
と、フィリップが言った。
しかし、そもそも、この青年は、たまたま中国人に生まれただけにすぎず、中国政府の批判を聞かされる謂れなどないのだった。
その日は、アノンの一人娘の誕生日で、アノンのお母さんもテーブルにやって来て、ラインビデオで彼女の娘と話し、皆でハッピーバースデイの歌を歌った。歌の途中で、野生の鶏が「コケコッコー!」となきわめいて、フィリップが箒で追い払いに走り回っていた場面も、愛おしい思い出だ。
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