2024年3月、6泊7日で、わたしはタイのチェンライに行った。昨年の11月にチェンマイ旅行で知り合いになった、タイ人の女友達、アノンと遊び回る目的で行ったのだが、やはり、現地に知り合いがいると、旅の輝きは勢いを増す。
アノンは、チェンライ空港までシビックの立派な車で迎えに来てくれて、会うなりわたしを抱きしめてくれた。そんな映画のワンシーンみたいなことをごく自然と行える友人ができたことに、わたしはちょっとした感動を覚えた。5か月ぶりに見る彼女は、やはり艶やかな化粧をしていて、長い黒々とした髪の毛を腰まで伸ばし、瞳がキラキラ輝いていた。よく冷えたアボガドスムージーと、カット済みのマンゴーとローズアップルを車の中で食べさせてくれたりした。
今回で、わたしの訪タイは4度目になる。東南アジア特有の熱い風と素朴な町並み、その中で突如出現する金ぴかで派手な、国王のモニュメントや寺院、仏閣。「素朴と絢爛」が混在するタイにすっかり魅了されている。もちろん、マンゴーを始め、果物や食べ物がお安くて美味しいところや、タイの人々の飾らない気質も大好きだ。
タイの人々の飾らない気質とは何か・・・。例えば、アノンがわたしに差し出した、象柄のズボンと赤い花の刺繍が入ったティシャツを見て、わたしは一瞬、パジャマを用意してくれていたのだと嬉しく思ったが、それは翌日の外出着だった。上下で2,000円もしない、ダボダボの、パステルカラーの服は身体をふわりと包んでくれて、まさにパジャマのようにリラックスできる。これで、町を颯爽と歩けるなど最高ではないか。町中のいたるところに巨大な寺院があって、その多くは金や銀、白、いろんな色のまじりあったもので、特徴としてはとても天井が高く、絢爛豪華で、細部まで凝っていて美しい。由緒ある寺院の壁の絵にピカチュウが混じっていたりするところも楽しい。
しかし、その美しい寺院の真ん中で野良犬が寝ていたりする。道路やコンビニの周りで、口を開けて眠り込んでいた野良犬たちの無邪気な顔を思い出すと、今でもほくそ笑んでしまう。
チェンライの町を散歩していた時、木の下に落ちていた硬い実を拾って、
「これ、食べられると思う?」
と、ふいにアノンがわたしに尋ねた。その実の名前は忘れてしまったが、グーグルレンズで調べると、食用だったので、そう答えると、なんと、アノンはその実を口に入れたのだった。
「食用と言っても、そのまま食べられるわけではないみたいよ」
と、タイ語に訳した説明文を見せると、彼女は頷いて、
「うちの庭に植えてみるわ。育つかどうか分からないけれどね」
と、実を拾い集めタイパンツのポケットにしまった。
こういう素朴さに、わたしはひとつひとつ驚かされる。
「この花、きれいね、あなたみたい」
と言うと、顔を輝かせて駆け寄ってくる。タイ人の彼女とわたしの間には、何のしがらみもなく、見栄を張る必要もない。月がきれいだと言っては二人ではしゃぎ、庭で採れたタマリンドウやバナナを食べてお腹いっぱいになり草の上に寝転ぶ。彼女はわたしよりひと回り若く、と言っても47歳だが、突然ブラシでわたしの髪をとかし始め、暑いだろうと髪を結んでくれたり、バックからイチゴやブドウ、チマキを出して食べさせてくれたりする。
タイの道路は車優先で、交通量も多いので渡るのが難しいのだが、アノンが必ずわたしと手をつないで渡ってくれる。わたしが歩道から道路側にはみ出て歩いていると、
「ディディディディディ・・・!」
と、大きな声を出し、歩道側を歩くよう手で合図する。こういう時、わたしも齢をとったなぁ、と感じるが、それは決して嫌な感情ではない。
また、タイ、というか(おそらく)東南アジア全般には、外国人価格というものがあって、値段が倍から10倍に跳ね上がるものが多い。だから、温泉やフラワーガーデン、有料の寺院に入る時は、
「あなたは黙っていてね」
と、アノンは言い、二人のタイ人女性としてチケットを買う。
わたしのタイ人の友人、アノンは素朴さと逞しさを兼ね備えた、美しい女性だ。
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