タイのチェンライに行ってきました④~ストレートなタイ人、日本人と感覚が似ている欧米人~

エッセイ

 2024年3月に、わたしはタイ人の友人、アノンに会いに行き、約1週間をアノンと彼女の夫、フィリップが経営するコテージに宿泊した。

 最初、フィリップはわたしと話をしようとしなかった。わたしのことを「いけ好かない、小金持ちの日本人オバ・・・いや、マダム」と思っていたようだ。

 わたしが、長年貯めてきたポイントで、アノンに似合いそうなピンクと赤の、シャネルのルージュを二本、お土産に持っていたことも、感じ悪く取られてしまったのかな、と思う。

 コテージでの最初の夜が明けて、中庭で会ったフィリップに、

「グッド・モーニング」

と、挨拶したが、フィリップは空を見上げ、わたしと眼すら合わせようとしなかった。

「どうして、彼女に、おはよう、って言わないの?」

と、アノンがすかさず言う。タイ人の、ストレートな考え方や物言い、って、ホント、すごく好き。胸がスカッとする。すると、フィリップは、

「グッダイ・トゥダイ(”good day today” をオーストラリア人はこう発音する)」

と言った。

「グッダイ・トゥダイ?わー、ホント、オーストラリア人だわ!」

と思わず言うと、フィリップは再び沈黙モードに入った。

しかし、6日間も顔を合わせているうちに、なんだかんだで打ち解け、いろんな話をしてくれるようになった。

・50歳くらいの時、オーストラリアでずっと一緒に住んでいたガールフレンドとうまくいかなくなり、何もかも嫌になって、タイのプーケットに来て、アノンと出会ったこと。

・腎臓が悪く、透析を受けなければならないが、タイは医療費が高いので、病院でお腹に穴をあけてもらっていて、自分で週に4回ほど腎臓を洗浄していること。

・主治医に余命は3年間と言われていて、オーストラリアには帰る家はないので、このチェンライの地で穏やかに最後まで過ごしたい、と、思っていること。

「タイではね、ちょくちょくファラン(白人)が自殺したニュースが流れてきて、その度に妙に不安な気分に陥るんだよ。ぼくは、アノンを愛しているし、信じているけれどね」

と、アノンには言えないような心情まで吐露するようになった。それは、わたしと気が合ったというより、タイ人は基本的にタイ語しか話さないので、誰かに心情を聞いてもらいたかったのだろう。

 欧米人や日本人のお金を持った高齢男性の中には、東南アジアの若い女性と家庭をもうけて幸せに暮らしたいという夢を描いている人も少なくないだろうし、実際に幸せになっている男性もいるだろう。わたしは女性なので、若い異性を求める感覚を完全に理解することはできないけれど、お金がいかに物質的・精神的豊かさをもたらしてくれるか、お金の力は分かっているつもりだ。

 しかし、東南アジアには、お金を稼げる人が一族郎党を養う義務がある、という考えは根強いし、外国人男性が若い女性の歓心を買うためにお金を使い続け、スッテンテンになったら大使館もしくは領事館の前に捨てられるという話や、タイ人妻が子どもと全財産を持って失踪するという話も聞く。

 タイは、タイの物価を考えると医療費は高額で、癌にでもなったらほとんどの人は医療を受けることを諦めるという。年金も、60歳で600バーツ(約2,400円)、70歳で700バーツ(約2,800円)が支給されるだけで、子ども(特に長男)は両親の世話をしなければならない、という慣習がある。

 スッテンテンになるまで、若い女性に貢ぐ男性はどこにでもいるだろうが、わたしが言いたいのは、福祉がしっかりしていない国ほど、金の切れ目が縁の切れ目になりやすいのではないか、ということ。

 ある時、アノンがわたしに、

「明日、ちょっと素敵なクルーズ船に乗らない?あなたが3,500バーツ払うと、6人が乗れるの。ドリンクは各自で買わないといけない、って言うから、フィリップと他4人の友人を呼んで良い?」

と、言った。タイには、ひとりがまとまったお金を払えば他の数名が無料になるというシステムが存在する。3,500バーツは約14,000円、タイの公務員の初任給ほど。まあ、日本でクルーズ船に乗ったらそれ以上するだろうし、そもそもクルーズ船に乗ることなどないので、わたしはアノンの提案に頷いた。アノンの表情が輝く。顔が鏡のように感情を映し出すのだ。こういうタイ人の、ストレートなところがわたしは好きだ。

 ・・・しかし、ガソリン代やすべての食事代、ドリンク代、マッサージ代、入場料などの支払いを延々続けていると、金額そのものはそれほど高くはなくとも、何となく感情面が疲弊してくる。

 その後、中庭で、

 「彼女にすべてを払わせて友人をクルーズ船に乗せるのは、良いことなのかな?」

と、フィリップがアノンを諭している声が聞こえ、何だかほっとする自分がいた。

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