パリでのオリンピック開催前の、2024年の3月頃、わたしは、突然、フランスに行きたくなって、職場に根回しをしながら、パリへの往復フライトと11泊の宿泊をネット予約した。
何故、フランスに行きたくなったのか・・・。それは、まだ、わたしが20代前半だった時、職場に出入りしていたお金持ちのオジサンたちから、「正月にヴェルサイユ宮殿に行ったんだよ!」とか、「ムーランルージュのショーがね!」と自慢されたことに起因する。前にも書いたけれど、わたしは子どもの頃からすごく貧しい生活を送っていたので、人一倍、お金持ちの人たちの自慢話を記憶し、それらを嫌悪しながらも、心の底では妬ましくて仕方なかったのだ。
その時の思いを晴らすべく、わたしは、ムーランルージュのあるピガールのホテル、しかも、ムーランルージュを設計した人が造ったホテルを予約する、という凝りようだった。
ピガールは、日本でいう歌舞伎町のようなところで、わたしが滞在したホテルからすぐ近くのクリシー大通りにはバーやアダルトグッズショップが立ち並ぶものの、ルノワールやロートレック、ユトリロ、ゴッホ、モディリアニ、ピカソなどが集まって創作活動をしていいた、芸術の都、モンマルトルがすぐ近くにあり、パリで一番高いモンマルトルの丘に聳え立つ、白亜のサクレ・クール寺院もくっきりと見え、まあ、華やかな街である。
そして、パリで開催されたオリンピックの開会式から閉会式までの一連の流れを見て、いったん、フランスに恐れおののいたものの、アラカンにもなれば、恐れよりも好奇心の方がはるかに勝り、旅行の日に向けて着々と準備を進めた。
パリのシャルルドゴール空港に着くのは、20時だったので、タクシーで向かうとしても、ホテルに着くのは22時頃になる。「チェックインが遅くなりますが、よろしくお願いします」と、到着の前日、メールと電話でホテルの人に念を押した。
やがて、飛行機はシャルル・ド・ゴール空港に着き、タクシーでホテルに着いたのは、21時30分過ぎで、予定より少し早かったとほっとしたのも束の間、ホテルのガラスドアを押すと鍵が閉まっていて、中を覗き見ても、小さな受付台には誰も見えない。周りの住宅街は薄暗いし、少しだけ離れた繁華街の通りは若者や酔客で騒がしいし、わたしは、ドアベルを慌てて押し、ドアの木枠の部分をドンドンと叩いた。それを、3回くらい繰り返し、青ざめて途方に暮れていると、奥から6,70代の小柄な白人男性が現れ、ゆっくりとした足取りで向かってきてドアを開けてくれた。安堵のあまり、わたしは笑顔で「ボンソワール、ムッシュー、メルシー!」と、まずはフランス語の型通りの挨拶をすると、「マダム、ベルは1回しか鳴らしてはいけません。鳴らしていいのは1回だけです」と、彼は英語で言いながら、わたしを招き入れた。
わたしは、フランスのマナー違反をしたことを恥ずかしく思いながら、パスポートをムッシューに渡して、チェックインの用紙の名前や住所などの枠にペンを走らせ、署名をして、その用紙と引き換えにずっしりと重い、鐘の形をした鍵をもらった。そして、彼は、
「マダム、鍵はひとつの部屋に一個しかありません。外出する時は、必ず、このボックスにお入れください」とブロンズの小さな箱を指さした。
「分かりました。メルシー、ムッシュー。オブワ!」
と、そそくさと旅行バックを抱え、エレベーターに乗り込むわたし。エレベーターはたいそう古く、内装は凝って豪華なデザインであるものの、中に張られたビロードの布はところどころ剥がれ、動くたびに、チェーンのギシギシという頼りない音が聞こえた。その30分後、怒りに襲われて、ロビーに戻り、くだんのムッシューに文句をいうことになろうとは、その時は、想像もしていなかった。
わたしの部屋はブルーで統一され、確かに美しくはあったが、中からのドアノブはとれ、ベッドサイドの電球は切れ、ひとつの絵は曲がって掛けられ、何よりも浴槽に湯を張ろうと蛇口をひねるとシャワーヘッドから水が勢いよく飛び出てわたしは頭から水浸しになった。すぐ横のトイレに掛かっていたトイレットペーパーも水で固まり、それを捨てようと小さなごみ箱のふたを開けるための黒い足踏みレバーを踏んだが、それも折れていて機能しなかった。
ムッシューを連れて部屋に戻ったわたしは、風呂の蛇口をひねってみるように言い、ムッシューはひねって頭から水をかぶり、わたしはその様子を背後から見て笑いをかみ殺し、ムッシューの濡れた服をタオルで押さえてあげた。
「いいですか、ムッシュー。日本では、客が到着した時、四つ星ホテルであればなおさら、ドアにロックが掛かり、受付台に誰もいないなんて、考えられないことです。あなたは、わたしに笑顔さえ見せてくれず、わがホテルにようこそ、とも、何も言いませんでしたね!」
と、言うと、ムッシューは、「わがホテルのようこそ」と少しだけ微笑んで、腰を曲げた。
「遅過ぎます!」
と、わたしは首を横に振った。
「いいですか、ムッシュー。わたしも、あなたをリスペクトしないといけませんが、あなたも、わたしをリスペクトしないといけないのですよ。わたしは、客ですよ」
と、言うと、ムッシューは、
「もちろん、それは分かっております」
と、頷き、「部屋をかえさせていただきます」と言ってくれたので、わたしは、「はい、これ」と、取れたドアノブを彼に渡した。
替えてもらった部屋は、やはり、ベッドサイドの電球がひとつ切れ、絵のひとつは曲がっていたものの、サーモンピンクで統一された、ピガールらしい、いっそう華やかな部屋だった。
その日以来、ムッシューとわたしの間に、ちょっとした友情のようなものが生まれた。わたしは、その日に起きたパリでの心配事をムッシューに相談し、彼は相変わらず、わたしがドアベルを二回以上鳴らすと、「ベルを鳴らしていいのは1回だけです」と、厳かに注意するのだった。
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