フランスのパリに行ってきました③〜オルセー美術館での不思議な出来事~

エッセイ

 ルーブル美術館の向かい、セーヌ川左岸に位置するオルセー美術館は1986年に開館。現在は1848年から1914年までの作品約10万点を所蔵し、ベルト・モリゾクロード・モネカミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、ギュスターヴ・カイユボットなど、多彩な作品が展示されている。(ARTnewsJAPANより抜粋)

 なんの下調べもせずに、オルセー美術館を訪れた、わたしのようなものにとって、息が止まるほど感動するのは、ミレーの「晩鐘」と「落穂拾い」が並べて展示されてあるのを見た瞬間ではなかろうか。

 子どもの頃は教科書で、大人になってからは様々な印刷物で目に焼き付いている、ミレーの二つの絵。美術のことなど、わたしにはよく分からないけれど、「晩鐘」と「落穂拾い」の周りには清流のような空気が漂い、自然に澄んでいて、光が射し込んでいた。

 できれば、このまま、心行くまで、ずっと眺めていたい。

 わたしのように、初めてミレーの二点の絵を観る人は、誰もがそう感じるのではなかろうか。

 その時、歓声を上げながら入って来て、ミレーの絵を取り囲む7,8名の中高年のアジア人女性たち。二点の絵の真ん中で様々なポーズをとり、スマホで延々と写真撮影をし始めた。どこの国の人たちか分からないが、中国語のような言葉を話していた。

 満面の笑みでポーズをとり続ける彼女たちを眺めながら、わたしが思わず、

「ウルサイッ!」

 と、日本語で小声で言うと、すぐ近くにいた、若い白人女性が、興味深そうな眼で、わたしとミレーの前ではしゃぐ女性たちを交互に観察し始めた。その若い白人女性の頭の中に「いがみ合うアジア人の女性たち」というテーマが浮かんでいるような気がし、わたしは、そそくさとその場を離れた。(ミレーの絵は、帰り際にゆっくり鑑賞しました)

 わたしにも、そのアジア人女性たちの気持ちはすごく分かる。何といっても、そこはおフランス。集団でやって来て気持ちも若返り、何もかもが美しくて、夢見心地で、テンションが爆上がりするのは仕方ない。しかし、自分たち以外の周りの人に配慮する、というマナーを身に付けない限り、肌の色云々ではなく、「分かり合えない気がする、あまり歓迎したくない、関わり合うと疲れそうだからスルーしたい」などと、現地の人たちから思われても、それはもう、仕方がない気がする。

 わたしが、フランスで、一度たりとも嫌な思いをしなくて済んだのは、いつも一人で行動し、必然的に寡黙になり、しかし、いつも笑顔でフランス語で挨拶し、英語でコミュニケーションをしっかりとっていたからだと思う。もちろん、ひとり旅である必要はないけれど、訪問国の文化やマナーをしっかり尊重するには、ある程度の緊張感は要る。

 そんなことを、つらつら考えながら、館内のレストランを探していたら、その日は臨時休業だったので、カフェに入った。わたしは、パリでは、外食をするなら、カフェよりもレストランに入った方が良い、という所感を持つようになった。カフェでの食事は、ちょっとしたものでも、2~3,000円程する。もちろん、店にもよるし、値も張るが、レストランで美味しい料理をいただく方が、カフェでサンドイッチなどを頼むより、満足度が高いと思う。

 しかし、カフェといえども、さすがオルセー美術館だけあって、内装は煌めくように美しかった。

 わたしは、水とサンドイッチ、チーズケーキに15ユーロ(約2,400円)を払い、二人掛けの小さなテーブルに席をとった。

 隣には、年配のフランス人の夫婦がコーヒーとタルトを食べていた。妻が苦心しながらフォークをタルトの硬い生地に突き刺そうとしていて、夫が微笑しながら「もう、つまんで食べればいいんだよ」とジェスチャーで言い、妻が笑顔で首を横に振っていた。

 その時、ふいに、

 「ボンジュール!ここに座っていいですか」

 と、4,50代の白人女性が、わたしの前の椅子に腰かけた。

 「ボンジュール!今日は、良い天気ですね」

 というと、「ええ、とっても」と彼女は微笑んだ。

 「わたしは、しょっちゅう、ここに来ているの。ここまで、バスで20分のところに住んでいるの。ルーブル美術館もオルセー美術館も年間パスがあって、一枚あれば二人入場できるのよ」

 と、言った。彼女は化粧をまったくしておらず、布製のバックから、トマトジュースと缶詰を取り出し、壁側にあったカフェのトースターで焼いたパンを紙皿に置いて持ってきたりし、まさに、勝手知ったる我が家、という感じだった。こんな、宮殿のようなカフェでくつろぐ彼女を見ながら、フランス人はこんな風に洗練されていくのだな、と思ったりした。

 それから、お互いの子どもの写真を見せ合い、彼女は結婚してロンドンに住む娘に赤ちゃんができたことを嬉しそうに語った。彼女の父親がスペイン人で、彼女の名前はヴェロニカだと教えてくれた。

「ねえ、ヴェロニカ、って言ってみて。ああ、日本人も、そう呼んでくれる。フランス人は、ヴェロニカーってカーを下げるように発音するのよ」

 と、笑った。

 話の合間に彼女は、小さな声で歌を歌い、

「素敵なメロディーね。実は、わたしも、さっき、展示室の片隅で、『オ・ミオ・バンビーノ・カロ』を歌ってしまったのよ」

 と、わたしがちょっとだけ歌ってみせ、彼女は微笑みながら、

「幸せな時は、人は歌を歌うのよね」

 と、頷いてくれた。

「いつ、日本に帰るの?」

「それが、明後日なのよ」

「そう、あなたは、もうすぐ、フランスを離れるのね。今夜ね、タイ人の友人と食事をするのよ。あなたの住んでいる街を教えて。二人で検索して、ネットの観光をしてみたいわ」

「わたしが住んでいる街もきれいなのよ。大きな池があって、美しい神社があって・・・」

 そんな会話をし、食事をし終えたわたしは、

「あなたに会えて幸せだったわ」

 と言い、

「わたしもよ」

 と、彼女は言った。

 こんな、束の間の、あたたかい交流っていいなあ。これも、神様からの贈り物かな。

 後々、連絡先を交換しなかったことを後悔したけれど、オルセー美術館に行ったら、わたしは再び彼女に会えるような気がしている。

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