幸せのカタチ

エッセイ

 アラカンになって、幸せのカタチが見えるようになった。

 その幸せのカタチ・・・情景・・・では、わたしは作業服を着た男性になっている。

 ちょっとした専門職でずっと同じ仕事をしていて、毎日が平凡に過ぎていく。給料は少なく、手取りで16万円くらい。

 しかし、仲のいい仲間が2人(2人とも男性で同じくらいの年齢)いて、しょっちゅう3人でアパートに集まり、鍋をつつき、発泡酒や焼酎を飲んで騒いでいる。

 家族がいないと寂しい、とか、ペットを飼わないと退屈、とか、良い家や車を持ちたいなどという、幸せのカタチもあるのだろうが、借金がまったくなく、自分は自分の世話だけして、仲間たちとささやかな宴を催して騒ぐ日々、というのも気楽で素敵。女性でなければ、化粧やおしゃれをする必要もないし、夜中でも気楽にコンビニに行ったりできる。

 家族がいないから責任もなく、そんなに長生きをする必要もない。

 でも、現実は、仲間から借金を申し込まれたり、裏切られたり、喧嘩して疎遠になったり、と孤独に苦しむ場合もあるのだろう。そもそも、良い仲間に巡り合うとは限らない。男性には男性の息苦しさがあるだろうし、まあ、ないものねだりかもしれない。

 そういうことをつらつら考えていたら、タイのパタヤに住みたくなった。生活費がバンコクよりかなり安く、海とビーチがあり、400円で1時間のマッサージを受けられる。タイ料理なら一皿、200円くらい。冬がないから、身軽に暮らせそう。

 でも、東南アジアに何十年と住んでいる日本人のことを「沈んだ」と表現する人たちもいて、何だかなあ、思うほど楽しい日々を送っていないのかなあ。

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