パリに到着した初日に、ネットでムーランルージュのショーのチケットを購入したが、ほとんどのショーは完売していて、取れたチケットは、パリを立つ二日前の、真夜中の1時開演のものだった。
それでも、何とか購入できたことはラッキーだったと、その時は思った。ショーのチケットの値段はシャンパン付きで24,000円。この価格が妥当かどうかは分からない。というのは、ネット上には微妙に割り増しして中抜きをするサイトがいっぱいあることに、旅行が進むにつれて気づき、愕然としたからだ。(パリでは、ディズニーランドパリの入場券はネットでしか買えず、ルーブル美術館やオルセー美術館、ヴェルサイユ宮殿なども現金で買える当日券は完売していても、ネットで割高なチケットなら買えることは多い)
ルーブル美術館の入場チケットは22ユーロ(2024年現在)なのに、ネットで39ユーロで購入してしまったし、サント・シャペル&コンシェルジュリー、日本人ガイド付きチケットを45ユーロで購入し、確かにサント・シャペルには入れたが、日本人ガイドなど現れなかった。狐につままれた思いで、サント・シャペルの入場口に並んでいたら、後ろの方で、
「英語通訳のガイドなんて来ないじゃないか!」
と、白人の家族が憤慨していた声を聞き、ああ、こういう詐欺もあるのだなあ、と思った。
しかし、倍くらいの値段を払わされるものの、スマホに現れるQRコードはチケットとしては機能し、まあ、彼らも捕まらないようには知恵を巡らせているのだなあ、という気がした。
ムーランルージュのショーに行く日の18時頃、ホテルスタッフで、夜間担当の6,70代のムッシューに、
「今日の夜中、ムーランルージュのショーを観に行くのですが、行き返りは危険でしょうか?」
と、気弱になって、わたしは尋ねた。
「今夜は、夜中の1時開演のショーですな。ところで、マダム、観客はあなた一人ですか?」
と、ムッシューが目を見開き(こういうところがフランス人だなあ、と思うのだが)、
「いいえ、もちろん、そうではありません」
と、わたしが首を横に振ると、
「だったら、行きも帰りも、通りは賑やかでしょう。クリシー通りは酔っ払いが多いですから、裏通りを歩いてホテルに戻られるといい。何かあったら、電話してください。まあ、何もないと思いますがね」
と、言った。電話してください、というものの、ホテルには30室の部屋があり、夜間はムッシューがひとりで働いていて、わたしのためにホテルを空けることなどできないのだった。
しかし、ムーランルージュまで、ホテルから歩いて10分と掛からず、歓楽街だから人も車もひっきりなしに通っているし、と思い直し、わたしは鮮やかなブルーの花柄のシャツに、花の形をしたボタンが付いたジャケットを羽織り、ピガールの蚤の市で買ったブルーのスワロフスキーのネックレスとイアリングを付け、モン・ゲランの香水を手首と首筋にたっぷりとなじませ、ショーに出かけた。
ムーランルージュの入り口には正装したスタッフと正装した観客、よれよれの普段着姿で髪には寝ぐせの付いた、まるで、ドラえもんの『どこでもドア』で自宅の居間から出てきたような中国人の中高年男性の集団が集まっていた。会場に近づくにつれ、後ろの中国人たちが前の方に割り込んできたため、わたしは壁に向かって手を付いて、彼らにキッとした視線を送った。彼らの一人が口をとがらせ、わたしに中国語でなにやら(意外とソフトに)まくし立てたが、その後の展開から次のようなことを言ったのだと思う。
「あ、とうせんぼ、したな。いいよ、ぼくたちは、単独で、横の通路に並ぶから。みな、こっち来いよ、こっちに並ぼうぜ!」
かくして、中国人の中高年男性たちは、入り口横のカーテンの前に並び、間もなくカーテンが開いて、小柄で頬を赤く染め、正装したフランス人男性がぴょんぴょんと走って現れ、中国人たちとそれは親しそうに握手を交わしていた。結局、中国人たち一行は、舞台の一番前にずらりと並び、ショーをかぶり付きで見ていた。彼らは金持ちで、おそらく接待で頻繁にきていて、上客なのだろう、と歯ぎしりしたが、わたしの歯ぎしりなど、何の意味もないのだった。(そういえば、「ごまめの歯ぎしり」という諺があったな)
ショーは、宝塚に似ていて、きらびやかな衣装を着た女性が、トップレスでセクシーな格好をしていたものの、品があってかわいらしくもあり、歌声ものびやかで、迫力あるミュージカルを見ているようだった。ガラスの瓶を並べて板を載せていき、その上に男性がのぼって、片手で逆立ちをしたりする、というような大道芸もいくつか挟まれ、見ごたえ十分だった。客席もおしゃれで、ショーの前はシャンパンがポンポンと抜かれ、水を頼んだわたしのテーブルには1リットルの水が二本置かれた。
受付で、「女性一人で来ていらっしゃるなら、お相手も女性一人が良いですよね」と、オーストラリア人の若い女性の前の席に案内されたところも、感覚的に通じるものがあって、面白かった。(まあ、相席になった女性は24歳で、大学院を出たばかりで、アラカンのわたしとはあまり会話が弾まなかったことは否めない・・・)
ショーが終わって、スマホの画面を見ると夜中の2時半を過ぎていた。ムーランルージュから出ると、4,5人の白人の酔っ払いが、わたしに、
「ハイ、チョンギー!」
と、馴れ馴れしくかつ見下した言い方をし、わたしの右の頬が引きつり、自分でも驚くような鋭い舌打ちが出た。その後、道路を向かい側に渡り、小走りに裏道を下って角で上ってホテルのドアにたどり着いた。裏通りは街灯もほとんどなく、通りの片側には灯りの消えた車がずらりと並んでいて、それはこの世の終わり、通り魔や強盗が潜んでいても何ら不思議ではない、今思い出しても、芯から腹立たしい・・・自分をこんなに危険な目にあわせた自分に腹立たしくて仕方なくなる。
わたしは、怖くてたまらなくて、ロックの掛かっているホテルのドアベルを立て続けに数回鳴らした。しばらくして、ムッシューが例のゆったりした足取りで近づいてきて、ドアの鍵を開け、言った。
「なぜ、ベルを何回も鳴らすんですか?ベルを鳴らしていいのは、一回だけだと、わたしは初日に説明しましたが。今夜はわたしだったから、良かったのですよ。明日の夜は、わたしは休むので、他の者が夜間を担当するのですよ」
「怖かったのです!酔っ払いから「チョンギ―!」と声を掛けられ、裏通りには誰もいませんでした」
「この辺の人は、あなたに声を掛けるかもしれませんが、身体に触れたりしませんよ。怖がる必要はないのです」
「「チョンギ―」とは、フランス語で、どういう意味ですか?」(わたしは、その時、まだ、「チョンギー」がアジア人、特に中国人に対する蔑視語とは知らなかった)
「チョンギ?チョンギ―? …I don’t know!」
と、ムッシューは青い顔をして、小さなホールのテーブルを拭き始めた。
わたしは、ムッシューに問いたかった。
あなたは、自分にとって大切な女性、例えば、妻や娘、女性の友達でも、夜中の1時にムーランルージュに行くことを止めなかったのか?なぜ、人通りのない裏道を通って帰ってくるようにわたしに勧めたのか?あなたではないフランス人が夜間担当であったなら、わたしが、ドアベルを数回鳴らしただけで、失礼な客だからドアは開けない、と判断するのか?つまり、フランスでは、何よりもマナーを優先させるのか?人の感情や危険などは、二の次なのか?それが、フランスの四つ星ホテルがとるべき、客への「マナー」なのか?
いろいろ言いたいことがあった。けれど、その時は夜中の3時で、わたしは疲れていたし震えていたし、明日の夜、ムッシューは休みなら、明後日、チェックアウトする自分はもう会うことは一生ない、と思い、ただ、
「パルドン(ごめんなさい)、ムッシュー」
と、言うと、ムッシューはうつむいたまま、小さく頷いた。それが、ムッシューとの最後の別れとなった。
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