奇跡のような京都の美しさ

エッセイ

 先日、1泊2日で京都に一人旅をしてきた。

 京都に行くのは5、6年ぶりだが、やっとアラカンになって、わたしは京都の美しさを噛みしめることができた気がする。

 幸運なことに二日間とも天気が良く、空気が澄み渡っていて、紅葉に包まれた京都はどこを切り取っても美しい木版画のようだった。

 京都が世界の観光地ランキングの上位に入るのは当然のことだろう、と思った。もちろん東南アジアに比べたら物価は高いけれど、サンドイッチとコーヒーのセットが5,000円する今のアメリカに比べれば、何もかもありえないほど安い。一食に5,000円も出せば、美しい京料理やおばんざい、鴨そば、刺身の盛り合わせ、生麩のオヤツ、もうなんでも食べられる。道にはゴミひとつ落ちていない。主要な観光名所のバス停には、ボランティアのおじいさんが立っていて、

 「金閣寺はあっち」

 などと、指をさして教えてくれる。それでいて、外国と違うのは決してお金を要求しないところ。100円玉でも差し出そうものなら、ボランティアのおじいさんは真っ赤になって怒り出すのではなかろうか。そんな国はなかなかないと心底思う。日本にチップ制度がないことも、安心できるポイントだろう。

 市営バス1日乗り放題チケットが700円とお安いのもとっても助かる。観光地だからバスが途絶えることはなく、わたしは利用しなかったけれど流しのタクシーもビュンビュン走っている。

 枯山水の庭の模様の描かれた砂を見て、台風の時はどうするのだろう、とドキドキするわたし。心よ、静まれ!と自分に言い聞かせるも、砂が飛ばないように大きな養生シートで覆うのかしら、などとしばし考え込んでしまった。ああ、何のために枯山水の庭を眺めていたのやら・・・。

 嵐山で、山に囲まれた河、紅葉、ススキを眺めていると、隣で若い外国人男性二人がやはりうっとりとその風景を眺めていた。

「ぼく、永遠にここに佇んでいたいよ」

 と、一人が感に耐えない声をもらし、

「うん、分かるよ。ここは世界で最も美しく、安心で、優しさにあふれている」

 と、隣の男性も恍惚とした表情で深くうなづいていた。

 ホテルはもちろん、レストランやコンビニでも行き届いた丁寧な接客を受けられる。トイレだって自動で蓋が開いて、自動で水が流れる。しかも無料。ヨーロッパの某国には、ティッシュペーパーを1枚1ユーロ!で売っているトイレがあった。置き引きやスリにも滅多に遭遇しない。ぼったくりバーはあるようだけれど、ぼったくりレストランや土産物店はない。(外国には、機械がうまく読み込まないと言って、何度もカード決済をさせ、支払額の数倍のお金を騙し取る店もいっぱい存在する)

 考えたら、系統は真逆かもしれないけれど、日本全体がディズニーランド、夢の国だと思うのは、他山之石、じゃなくて、晴耕雨読、じゃなくて、そうそう、我田引水かしら?

 わたしのような労働者からするとストレスが半端ないけれど、訪れる人からすれば日本は奇跡のような国かもしれない。特に京都は。 

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