さだまさしの歌「関白宣言」に思うこと

エッセイ

 さだまさしさんの「関白宣言」という歌を、高校生の頃よく聞いていた。テレビからもラジオからも、始終この歌が流れていた気がする。

 そして、この歌はリリース直後から、いろんな人に批判され、バッシングされ、さだまさしさんは一時期、メンタルを病まれるほどのダメージを受けられたそう。この歌への批判は、当時ほどの強烈さはないが、今も続いているという。

 わたしは、さだまさしさんの声が好きで、10代の頃、レコードのLP版をよく聴いていた。ほのぼのとした結婚生活をテーマにした歌が印象的だった。仕事をしている夫と専業主婦の新婚生活がモティーフになっていて、今思い出しても、キャッキャと若い夫婦の笑い声が聞こえてきそう。

 まあ、昭和の歌とは、「関白宣言」のようなものが多かったように思う。「22歳の別れ」然り、「木綿のハンカチーフ」もどこか男性優位な雰囲気が漂う。「なみだの操」や「恋の奴隷」の歌詞など、今だったら大問題になっていたのではないだろうか。

 当時は、確かに女性は男性の経済力に頼って生きるのが主流だった。いくら家事と育児は働くより大変といっても、結局、経済力が精神的力関係にものをいう。

 女性が就ける仕事など非常に限られていたし、寿退社が当たり前で、女性の自立など並大抵の努力ではできなかった。働く女性は、お茶汲みとコピー、マクドナルド並みのスマイル0円はマストだった。さらにはセクハラという言葉さえなく、胸や尻を触られ抗議すれば「幼稚な女」などと馬鹿にされた。自分の不細工さや不格好さは棚に上げ、女性の容姿をこき下ろす男性なんて石を投げれば当たるほどいた。男尊女卑というスモールワールド住みの男たちが跋扈していた。

 あ、ちょっと、今、怒りで興奮してしまったけれど、そういう時代の「関白宣言」という歌は、かわいいものではないかと思う。(そんな問題じゃない、って?)確かに最初から最後まで男が女に上から目線だけれど、相手の女が合意していて、男も生活費を入れる気満々なので、あれはあれでいいんじゃないかなあ。

 繰り返しになるけれどそういう時代だったし、表現の自由は尊重すべきだし、嫌なら聴かなきゃいいんだし、そういう男が嫌いなら自分好みの男をゲットすればいいんだし。(別に男なんて必需品でもないし)。終わった時代に目くじらを立てるより、テイラー・スイフトの「shake it off」でも聴いて、気持ちをスカッとさせたらどうかと思う。

 話は変わるが、ずいぶん前から「全国亭主関白宣言協会」というものが存在していて、「ストップ・ザ・熟年離婚」という活動をしている。略して「全亭協」と呼ばれ、その理念とは、

 「関白は、所詮、天皇(妻)には勝てない」

 というもので、仕事を辞めた夫たちが集まり、

 「(妻に)勝てない、勝たない、勝ちたくない」

 などと唱和し、積極的な家事手伝いや妻とのスキンシップなどを研究し、「家庭内存命率」を高めようと日々研鑽に努めているらしい。

 ー関白は、所詮、天皇(妻)には勝てないー

 この白旗をあげる潔さ。

 この言葉を聞けば、あの昭和の、蟻のように湧き出ていたスモールワールド住みの男たちのことは、そんなに気にならなくなるはず・・・。

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