わたしが初めて行った外国はギリシャだった。
4、50年ほど前、外国人と文通することが流行っていて、わたしの母の文通相手はカリスタという眼科医だった。
わたしはバイトでお金をコツコツ貯め、21歳の時、カリスタに会いにアテネに行った。
当時のアテネは外国人の観光客で溢れ、その中のアジア人のほとんどは日本人だった気がする。
カリスタが仕事で忙しい時は、彼女のボーイフレンドのエミリオス(当時36歳)がわたしのガイドをしてくれた。
彼はアクロポリスの丘からアテネの街を見下ろしながら、
「パルテノン神殿は、他の国では狩りをして生活していた頃に建てられたんだよ。ま、作業させられていたのは奴隷たちだったんだけれどね」
と肩をすくめ、
「ぼくは自分がアテネ人であることが、ものすごい誇りなんだよ」
と、風にウエーブした髪をなびかせ、声をかすらせて言った。
アテネ人の誇りに触れられたことは感慨深かったが、丘から見下ろすアテネの街は白い石でできた四角い家がぎっしり詰まっている感じ。古代的でステキだが、首都にしては田舎感が否めない。
博物館では、エミリオスは八頭身の美しい男性の裸の彫刻を指差し、
「ぼくも本来ならこんな容姿だったはずなんだがなあ。なのに、トルコの侵略で、背が低く肌が浅黒くなってしまった」
と、苦々しい表情をした。わたしは微妙な気持ちになった。
まず、美の象徴のような祖先を持っていることは素直に羨ましい。日本の博物館で、平安時代の女性を描いた絵を見ても、こうなりたかった、とはわたしは思わない。長過ぎる髪と下膨れで細い目の顔、着物を着てじっと動かないイメージ。まあ、それも貴族だけに許されたことだけれど。
そして、次に思ったのは、自分の容姿をトルコのせいにするのは、いかがなものだろうか?そんなことも含めて自分のアイデンティティではないのだろうか。調べたら、侵略や戦いでいったんは同じ民族になり、その後、キリスト教を信じる人々はギリシャに、イスラム教を信じる人々はトルコに住むようになったらしい。
「日本人はさ、女の子は可愛いけれど、男の方はさっぱりだな。ギリシャ人から見るとさ」
というエミリオスは、トルコのバザールで雑貨を売っている男性のように眉が太く、小太りで、背も低い。こんな普通の中年のおじさんが美について語ることができるのは、彼がギリシャ人だからだろう、と妙な納得をした。
ずっとトルコの悪口を言っていたのに、
「さあ、トルココーヒーを飲もう!」
と颯爽にカフェに入って行って、何だかユーモラスで可愛いかった。
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