タイのパタヤに行ってきました。(番外編)〜諸行無常に泣いた日〜

エッセイ

 タイのパタヤに行く前に、わたしはバンコクに立ち寄り、1日だけ観光タクシーに乗った。(10時間で12,000円だった)

 そして、タクシードライバーのカセム(52歳)と英語でいろんな話をした。タイは外国人観光客が多いため、カセムもYouTubeで英語を学び、一通りの英語は話せるようになったという。加えて、今はGoogle翻訳という便利な機能がスマホで使えるから、ちょっと込み入った話をすることも可能である。(いちいち翻訳機を通すのはもどかしくはあるけれど)

 カセムの話によると、彼はシングルファーザーで、7歳の男の子を育てているようだった。スマホで男の子の笑顔や寝顔の写真を見せてくれ、わたしもふいに自分の息子の幼い頃を思い出して、しんみりした気分になったりした。

 カセムの両親は八人の子どもを産み、カセム以外は皆女の子だったから、ゆくゆくはイサーンの田舎に戻って、畑仕事をしながら両親の世話をしなければならない、と語っていた。タイには年金というものがほとんどなく、長男が両親の老後の世話をするのがしきたりとなっているという。ここまで聞いて、わたしは、他の男の元に走ったカセムの妻の気持ちが少し分かる気がした。(気持ちが複雑になるから、残された男の子の悲しみについてはあえて考えない)

 王宮通りを眺め、美しいワット・パクナム(エメラルド寺院)に入り、全長約46メートルの金色の釈迦像が横たわるワット・ポーを見て、チャイナタウンに向かう途中、カセムがふいに路肩にタクシーを止め、振り向いてわたしに尋ねた。

「ところで、君は、どうしてバンコクに来たの?」

「え?」

「だって、一人で来ているし、ずっと考え事をしているよね。どことなく表情も曇っているし」

 その言葉を聞いて、わたしはちょっと泣きそうになった。

「何を見ても君はいつも上の空みたいで。日本人女性が一人でバンコクに何をしにきたのかなあってふと思ってさ」

「わたしはね、本当は友達に会いたいの」

 そう、わたしがバンコクに来た目的は、ずっと昔にお世話になったワナとスマリに会うためだった。

 35年前、わたしはアルバイトで、商談の英語の通訳をしにバンコクに来ていた。しかし、勉強不足で、貿易の仕組みや専門用語が分からず、はっきり言うと使い物にならず、日本人のバイヤーからクレームを言われ続けていた。すっかり落ち込み、ホテルのロビーで泣いていたら、

「どうしたの?なんで泣いているの?」

 と、声をかけてくれたのが、ワナとスマリの姉妹だった。彼女たちはブロンズ像の工場を持っていて、日本や欧米に輸出していて、その時、タイ側の業者として商談会に参加していたのだった。

 理由を話すと、

「そうだったのね、日本人のバイヤーたちは、明日、チェンマイに飛ぶんでしょ。わたしたち、時間があるから、あなたを手伝ってあげるわよ」

 と、申し出てくれたのだった。

 彼女たちは自腹で自分たちの飛行機代とホテル代を払い、商談の時はわたしの横に座り、貿易の専門用語を分かりやすくかみ砕いて、わたしに教えてくれたのだ。彼女たちのおかげで、わたしはその時の危機を乗り越えられたといっても過言ではない。夜はナイトマーケットに行き、三人でいろいろ買い物したり食べ歩いたりした。

 そんなことをして、彼女たちに何か得があったわけではない。彼女たちは、金持ち特有のきっぷの良さと大らかさから、当時23歳だった外国人女性のわたしを助けてくれたのだった。

「わたしたち、ずっと、付き合いを続けましょうね」

 35歳のワナが、そう言って微笑んでくれたことを、昨日のことのように思い出す。彼女たちは優しくて、賢くて、美しかった。その日以来、タイ人と聞くと、わたしの胸の中にパアーッと光が溢れるようになった・・・。

 さて、コロナがひと段落し、わたしはたくさんのお土産を持って彼女たちに会いに行きたいと思い立ち、数か月前からサトーンの店へ電話を掛けていたのだが、決まって出るのはワナの息子のピーで、ワナとスマリは外出しているか、寝ているかで、不在なのだった。

 まあ、最後に電話で話をしたのは、わたしが息子を身ごもっていた頃だから、21年前になる。彼女たちも、突然、疎遠だった外国人から電話を掛けて来られて、戸惑っているかもしれないし、忙しいのかもしれない。バンコクに着いたら、そっと店に立ち寄り、お土産だけでも渡して来よう、と、わたしは何となく思っていた。

 わたしは事情をカセムに話し、ちょっと立ち寄りたいので、店への行き方を電話で聞いてもらうように頼み、カセムはわたしに通話が聞こえるようにスマホの設定をして、ワナに電話をしてくれた。

 カセムとワナは5分間ほど、タイ語で何か話をしていた。

 それは、懐かしいワナの声だったが、始終、怒りに満ちたように震え、張り詰めて聞こえた。聞いているだけで、わたしの肩や背中が硬くなってくるのだった。

 通話を終え、カセムが運転席から振り向いて、わたしに言った。

 「破産したようだよ」

 「え・・・」

 「ご主人も亡くなったみたいだよ。・・・わたしたちは、外国人を信用していない。したがって、外国人の友人などいない、と彼女に伝えてほしい、と言われたよ」

 「・・・」

 「こんなこと、伝えない方が良かったかな。彼女は個性的で勤勉な感じの人だね。まあ、今はタイで破産なんて珍しくないよ。コロナ禍で皆が苦しんでいた時、銀行はどこも年利14パーセントもとって、貸し付けを行っていたからね」

 「そんな・・・年利が14パーセントって、払えなければ5年で貸付金は2倍になるじゃないの!そんなのってない・・・ワナの所にわたしを連れて行って!今すぐ、お願いよ!」

 「行って、何があるの?いったい何があるの?」

 わたしは言葉を失い、呆然とし、涙さえ出なかった。

 考えれば、ワナは70歳になっていた。わたしの中では35歳のワナが、顔を蜂蜜色に輝かせて微笑んでいる。ワナは、道を歩く時にオレンジの袈裟を着た僧侶に会ったら、必ず、笑顔でタンブン(喜捨)していた。プルメリアの花を差し出すかのように紙幣を差し出し、その姿は美しく、強さと優しさに溢れていた。

 ー変わらないものなど、何もないのだー

 若き日の大切な思い出がはらはらと欠片になって風に舞って行った。   

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