わたしが心療内科に通い始めたのは、二十年前のことだった。
夜、眠れなくなった。やっと眠れたと思っても、午前の二時ころには目が覚めてしまう。
仕事ではミスが増えた。同じことを何度も聞いて、怪訝な顔をされる。そのたびに落ち込んだ。
家事や育児も苦痛になり、自分が子どもを虐待してしまうのではないか、と怯えるようになった。
当時、わたしの周囲では、心の病気への理解は十分ではなかった。
「気持ちをしゃんと持ったら、治るよ」
そう言われ、目の前が真っ暗になったことを、今も覚えている。
まずは、休むことから
自分の心が病んでいることに、すぐには気づけなかった。
バスや電車に乗ると、過呼吸が起きる。公園に行っただけで、頭の中がざわざわして、歩けなくなる。突然お腹が痛くなり、トイレに駆け込むこともあった。
自分ではどうにもできない。そう思って心療内科を受診すると、入院を勧められた。
すでに、ずい分具合が悪くなっていたのだろう。
休養を始めてから、頭の芯がずっと興奮している感覚に気がついた。来る日も来る日もベッドに横になり、夜は睡眠導入剤を飲んで眠った。
その頃、食堂で、若い男性がこう言った。
「ぼく、心が弱いから」
その言葉が忘れられない。
苦しいうえに、病気に罹った自分を責めてしまう。わたしも、あの「気持ちをしゃんと持ったら」という言葉に追い詰められていた。
病気になった自分を責めずに、休む。必要な治療を受ける。それが、どれほど大切で、どれほど難しいことなのかと思う。
旅の写真に、心が動いた
六十歳になったとき、わたしは再び、心の調子を崩した。
しばらく休み、仕事を辞めようと決心すると、心が軽くなった。思えば、わたしにとって、一番のストレスは仕事だった。
好きだった小説も、その頃はとても読めなかった。散歩をする気力も、なかなか湧かなかった。
けれど、退職後に出かける旅のことを思うと、心は静かになった。そのためのお金は貯めていた。
ネットで旅本を買い、写真を眺めた。
わけもなく、涙が流れた。
小説は読めなくても、旅の写真は眺めていられた。知らない街へ行ってみたいという気持ちが、わたしの中に残っていた。
美しいものと美味しいもので、自分を満たす
退職し、五月の初旬、わたしはポルトガルとスペインへ旅に出た。
広い世界を見て、美しいものと美味しいもので、自分を満たそうと思った。
リスボンではテージョ川をただ眺めた。ポルトガルの大学生の歌と踊りが眩しかった。グラナダの光に触れ、アルハンブラ宮殿を歩き、藤の花の香りを吸い込んだ。マドリードのプラド美術館で何時間も絵画を見た。バルセロナで、ピンチョスを食べてみた。
川を眺める。花の香りを吸い込む。絵の前に立つ。
悩みでいっぱいだった心に、目の前のものが入って来るようになった。わたしが感じた「余白」は、そういうものだったかもしれない。
帰国してから、二匹の猫にブラシをかけ、爪を切り、小さな頭を撫でた。
「ずっと、放っておいてごめんね」
猫にそう言いながら、手を動かした。
少しずつ、自分の暮らしへ
旅から戻って、いくつか季節が過ぎた。
わたしにとって、旅は気持ちが変わるきっかけになった。ただ、誰にでも旅が必要だとは思わない。出かける気力がない時に、無理をすることもない。
何をしたいかさえ、分からなくなることがある。わたしにも、本も読めず、散歩もできない時期があった。
だから、まず休んでほしい。ひとりで抱え込まず、専門家の力も借りてほしい。
そして、いつか「これをしてみたい」という気持ちが浮かんだら、自分の体調に合わせて、少しだけ手を伸ばしてみてほしい。途中でやめてもいい。また休んでもいい。
わたしは今、本を読み、朝の道を歩き、猫の小さな頭を撫でている。
そうした時間が、自分の暮らしに戻ってきたことを、うれしく思う。
🍃お勧めの本です。


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