タイのパタヤに行ってきました⑤〜アジア人同志の心地よさ〜

エッセイ

 日本人のわたしがタイで心地良さを感じたのは、同じアジア人で、外見が変わらず、すっかり溶け込むことができたことも大きいだろう。一般的に、タイ人には親日家の人が多いとも聞く。

 パタヤに行く前に立ち寄ったバンコクでは、高校生の男の子たちがスタバの手提げの紙袋にノートと教科書、ペンケースを入れて、颯爽と歩いているのをよく見かけた。その姿が自分の息子とぴったり重なったりした。グレーのズボンと白いシャツ姿に、スタバの紙袋はとてもスタイリッシュに見えた。初々しい彼らの姿が今も時折脳裏を過ぎる。

 タイの食堂やカフェは一般的に壁がなく、したがってクーラーも効いておらず(扇風機は置いてある)、四本の柱に支えられただけの簡素な造りものが多い。柱や看板の色が剥げていたり、ボロボロになっていたりする。最初はぎょっとするが、どこもそうなので、次第に気にならなくなる。そんなことより、販売されているフルーツたっぷりスムージーが25バーツ(100円)だったり、トムヤムヌードルが70バーツ(280円)だったりするのが嬉しい。

 驚いたのは、白人が仏像にひざまづき、祈りを捧げている場面を何度も見たこと。エラワン廟では、お金を払い、装束を身に纏った女性たちに祈りの踊りを踊ってもらい、泣きながら祈っていた白人男性も見かけた。誰もが彼をじっと見ていた。(もしかして、出兵を逃れてきたロシア人だろうか・・・)

タイ、バンコクのエラワン廟

 まあ、例え、わたしが涙を流しながら仏像に祈りを捧げていても視線が集まることはない。アジア人がアジアを旅するって、本当に気楽。

 特にパタヤでTシャツと短パン、ビーチサンダルに着替えれば、完全に風景に溶け込める。

 パタヤで、ある時、3、40代の男性から勢いのあるタイ語で話しかけられたので、

 「わたしはタイ語を話しません」

 と、英語で答えると、

 「お腹が空いているので、20バーツください」

 と、流暢な英語で言い直された。彼は、水色のシャツとグレーの長ズボンを履いていて、特に貧しい感じはしなかった。フリーランスのわたしの夫が仕事に行くときの恰好によく似ていた。

 言われるまま、20バーツを渡すと、

 「カップン・カップ!(ありがとう)」

 と、南国特有の、とびきり明るい笑顔を返してくれた。満面の笑顔が何の屈託もなく輝いていた。

 その笑顔は小さな陽だまりとなって、今もわたしの心の一部を照らしてくれている気がする。

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