フランスのパリに行ってきました⑥~日本人と認識される理由~

エッセイ

 パリに到着した翌日は日曜日で、わたしが滞在したホテルのすぐ近くで、蚤の市が開かれていた。

 わたしが、ヨーロッパの蚤の市を見たのは、遥か昔、学生の頃以来。

 大通り中央のスペースに、折り畳みテーブルが広げられ、アンティークな感じの、デスクライトや椅子、食器、服、小物などが並んでいる光景を見た時、アラカンになったわたしもわくわくした気持ちになった。

 考えてみれば、わたしも、もはやアンティークみたいなもの。

 しかし、アンティークにはアンティークにしか出せない、圧倒的な美しさや味わい深さがあると思うの。そして、それを分かっているのは、何となく、日本人(アジアン)ではなく、フランス人(ユーロピアン)のような気がする。「年齢は単なる数字でしかない」と言ったココ・シャネルもフランス人だし。オバチャンやお婆さんにも、フランス人は「マダム」と呼びかける。齢をとった女性を「オバチャン」と面と向かってあからさまに揶揄する文化は、マナー上、フランスにはないと思う。(まあ、アジア人差別はあるだろうし、未だに田舎の方では男尊女卑の考えも多いと聞くし、一概にフランスの方が素晴らしい、と言いたいのではありません)

 ピガールの蚤の市で、わたしは、青いスワロフスキーの付いたネックレスと、それに合わせてイヤリングを買った。そこで困ったのは、「マダム」と「ムッシュー」で会話していること。わたしにとって、初めて訪れたフランスのパリの一日目。なんだか「安くしていただけませんか?」などと値切れる雰囲気を感じられず、わたしは、そのネックレスとイヤリングに、言い値の60ユーロ(約9,600円)を支払った。しかし、わたしが立ち去る時に、

「アリガト、サヨナラ!」

と、日本語で言って、手を振ってくれた。わたしは嬉しくなって、自分が値切らなかったことやひとりでいること、笑顔で挨拶し、華やかな花柄のシャツを着ていて、モン・ゲランの香水を付けていたから、日本人と思われたのだろう、などとと思った。

 古文書博物館に入る時も、「ボンジュール!」と挨拶したら、「日本人ですか?」と聞かれ、頷くと、「セボン!」(そう、楽しんで!)と言うやり取りがあったり、わたしは、レストランやカフェ、ブティック、美術館などで、会話するたびに、いつも、「日本人ですね」と微笑みかけられた。何となく、誇らしかった。

 しかし、ある時、別の蚤の市に行き、ストールを見ていて、売り手の女性に、

「これは、フランス製ですか?」

と、尋ねたら、

「いいえ、マダム。ここにあるストールや服はすべて、中国製です。しかし、品質は悪くありません。むしろ、いいものです」

と、答え、どうして、この女性は、わたしを中国人ではない、という前提で話をしているのだろうか、その確信はどこから来ているのだろう、という疑問が芽生えた。

 その時、わたしの脳内で、キュルキュルと過去の場面が現れた。

 そこは、マレーシアのクアラルンプールで、わたしは24歳だった。ホテルのエレベーターで居合わせた白人に、

「グッド・モーニング」

と、挨拶したら、彼は即座に、

「グッド・モーニング。君は日本人だね?アクセントやイントネーションで分かるんだよ」

と、言われたのだった。

 そういえば、中国人が話す日本語や韓国人が話す日本語には、彼ら特有の発音や言い回しがあったりすることに思い至り、日本人もそんな感じで認識されるのだと、腑に落ちたり、肩透かしに合った気持になったり。

コメント

  1. eigotto より:

    見てるとやはり強いというか生命力が際立ちますね✨
    香港の人の話す日本語と台湾の人が話す日本語
    大陸の人の話す日本語違いますね笑

    • kotokoto より:

      eigotto様
      コメントをありがとうございます!
      昨年、台湾に行った時、7,80代の女性が話しかけてくれて、それは、日本人とそん色のない日本語で驚いたことを覚えています。
      しかし、多くの外国人が話す日本語には特徴があって、中国人が話す日本語はかわいくて、韓国人が話す日本語は味わいがあるような気がします。
      eigottoさんがおっしゃるように、アジア圏の方の話す日本語には、確かに生命力が漲っていますね、圧倒される時があります。