タイのチェンマイで韓国人ツアーに参加

エッセイ

 わたしは、東南アジアに行ったら、現地のツアー代理店に行き、自分の体調と相談しながらツアーを申し込むようにしている。

 昨年の11月初旬に、7泊8日でタイのチェンマイに行った時も、「夜に巡る寺院ツアー」に申し込んだ。4時間コースで2,500円ほどだった。

 ツアーは、やっぱり楽である。ホテルまでワゴン車で迎えにきてくれ、ガイドさんが英語であれこれ説明してくれる。

 日本人のわたしにとって、アジア旅はやっぱり気楽。黙っていれば現地人に紛れ込め、それ故、スリなどに狙われるリスクも減る。

 以前、仕事で知り合った日本人青年が、

「日本人って、アジアのどこの国に行っても、日本人だとバレるんですよね。ベトナムでは、ぼく、日本人からはヨーロッパの香りがする、って言われたんすよね」

 と、訳の分からないことを言ってうっとりしていたが、そんなことがあるわけがない。洗練されたバックや服を身に着けていれば目立つことはあるかもしれないが、それはバックや服が洗練されていたのであって、日本人からヨーロッパの香りがするわけでは、もちろん、ない。ヨーロッパの香りを放つバックや服を身に着けていた結果、その青年は、ベトナムで財布を盗まれ、靴の底に隠し持っていた二枚の1万円札で残りの1週間を過ごさなければならなくなり、水も十分には買えなくなったらしい。

 さて、タイのチェンマイで申し込んだツアーのワゴン車に乗り込むと、12人中10人はアジア人だった。残りの2人はイギリス人の若いカップルで、二人の世界に浸っていた。

 わたしを除く、アジア人の老若男女はどうも家族のようで、彼らの話す言葉の感じから韓国人だということが分かった。その途端、何故か緊張が走る、ひとりぼっちの日本人のわたし。

 わたしは、ツアーで一緒になった人たちに配ろうと、前もって、八百屋で買っていた一口大にカットされたリンゴの入ったビニール袋を取り出し、その韓国人たち(とイギリス人カップル)にふるまった。

 「ん、これ、酸っぱ過ぎない?」

 と、一様に梅干しでも口に含んだような顔になる9人の韓国人たち。(イギリス人二人はにこにこして食べていた)

 (だって、こんなにたくさん入って、140円くらいだったのよ。少しくらい酸っぱくても仕方ないじゃないの)

 と、うなだれるアラカン。

 「こんなの、日本のサンフジの足元にも及ばないじゃないの。サンフジの味を知ったら、他のリンゴなんて食べられやしないよ」

 と、五十代の韓国人男性が英語で言い、韓国人たちは一斉にうなづいた。わたしは、この韓国人家族はお金持ちに違いない、と感じた。世界中を旅して、日本にも来て、サンフジリンゴの味も知っているのですな。

 わたしたちの一行は、まず、山の中の、木々がうっそうと茂ったワット・ウモーンの仏閣の中を裸足で歩いた。中は迷路のような細い道が作られていて、僧侶の修行場となっているらしく、仏像も祀られている。

 ここの何がすごいかと言うと、いたるところに蝙蝠が垂れ下がっていて、バタバタと飛び回っているのだ。飛んでくる蝙蝠をよけるため、わたしは、一番ガタイの良い、若い韓国人男性の後ろに隠れた。その時、二十代の若い韓国人女性が「怖いですね」と日本語で話しかけてくれた。蝙蝠を指さし、「日本語で何と言いますか?」と聞いてきたので、「コ・ウ・モ・リ」とわたしが顔を引きつらせながら言い、彼女は平然とした様子で、何度も「コウモリ、コウモリ、コウモリ」と発音していた。

 やはり山の中にある、ワットプラタート・ドーイステープ寺はすべてがゴールドカラーで、これぞ、わたしのイメージのタイの寺院だった。日本の寺が醸し出す詫び寂びも落ち着くし心穏やかになるが、タイの煌めく寺院の世界観にも感動するし、圧倒される。

 そのツアーの日は雨が降っていて、仏閣に入る時は裸足にならなくてはならず、夜だったこともあり、手足が冷えた。

 その時も、韓国人の若い女性が、「少し寒いですね。大丈夫ですか?」と日本語で話しかけてくれ、嬉しかった。韓国人たちは、ずっと韓国語で盛り上がっていて、わたしはずっとひとりぼっちだった。一人旅は気楽だけれど、必ず寄る辺ない気持ちになる瞬間がある。

 その後、食堂に入り、皆で、カウソーイというチェンマイ名物の麺料理を食べた。

 わたしは、そこでも緊張した。むかーし、「器を持ち上げて食べるのは、日本人と乞食だけ」と、韓国人が言うのを、聞いたことがあるのだ。

 「韓国では、器を持ち上げて食べてはいけないのですよね」

 と、わたしが、隣の席の若い男性に聞くと、

 「確かに、そう信じている韓国人はいますね」(Yes, some Korean peaple believe in that.)

と、彼は答えた。その言葉に、彼の優しさを感じて、わたしの肩からいい具合に力が抜けた。

  ワゴン車がホテルに着き、彼らと別れる時、わたしがあらかじめネットで調べておいた韓国語の挨拶、

 「アンニョンヒチュムセヨ(おやすみなさい)」

 と言うと、彼らがどっと沸いて、

 「アンニョンヒチュムセヨ!!!」

 と、千切れるように手を振ってくれた。わたしの胸の中に小さな感動が生まれ、それは、ワットプラタート・ドーイステープ寺で拾った砂金のように感じられ、今も大切な思い出だ。 

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