お金がすべてじゃない、と言うけれど

エッセイ

 「お金がすべてじゃない」と言う人がいる。(例えば、わたしの母親)

 わたしが息子に、

 「仕事が人生を決めるのよ。仕事とお金が大事よ」 

 と、話そうものなら、わたしの母親は、

 「違うわよ。お金なんかより、人との繋がりとかちゃんと生きることとか、もっと大事なことはいっぱいあるじゃない。何がお金が大事よ!あなたは人として親として、間違ってるわよ!」

 と、ヒステリックに叫んでいた。

 しかし、母はほとんど専業主婦として暮らしていたから、年金がすごく少ない。よって、20年近く、わたしが毎月送金してきた。(今もしている) 子どもたちが二人とも今大学生で一人暮らしをしているから、生活は楽ではない。

 「お金がすべて」とあからさまに言う人とはお近づきにはなりたくないけれど、「お金がすべてじゃない」と、ことさらに言う人もお金の価値を分かっていないような気がする。

 「わたしは(俺は)情で生きている」

 という人も、わたしは信用しない。なんか、絡まれている気がする。たんたんと生きる力がない人に感じてしまう。

 わたしの母親は、子どもの頃、壮絶な貧乏を経験している。しかし、なんだかんだ生き延びて(そこは良かったけれど)、結婚してからは夫に、そしてわたしに扶養されてきた。時代とはいえ、事情があったとはいえ、わたしはこういう女の生き方が嫌い。

 夫とは今も仲良しだけれど、わたしは自分を頼りに生きていく。だから、経済的には自立していたい。

 母は家事が嫌いだった。どうして、女が食事の用意をしなきゃいけないのかしら!と、泣きながら台所に立っていた。だったら、働きに行けばいいじゃん、と、子どもだったわたしはずっと思っていた。

 また、

 「早く寝たきりになりたいわ」

 とかなんとか言っては、一人っ子のわたしをしょっちゅう虐めていたので、気持ちも離れてしまった。親孝行など、強制されて行うものではない。あらゆる親切も同様だ。

 まあ、わたしの母は発達障害かなにかだったのだろう。 

 わたしは、自分の子どもたちからお金や時間を奪いたくない。親だから、彼らを助けることはあっても、恩を着せるような卑怯なことは絶対にしない。

 「人は犠牲を強いられると憎しみが出る」

 心理学者の加藤諦三先生のこの言葉を、わたしは忘れたことがない。だから、今も資産形成に必死に取り組んでいる。

 

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