映画「メアリーの総て」はすべての女性の歴史

エッセイ

 アマゾンプライムで、「メアリーの総て」(原題「Mary Shelly」)という映画を見た。

 ある女の子の恋愛ものかしら?となんとなく見始めたのだが、まったく違った。時代は1814年頃で、舞台はロンドン。1814年なんて、フランス革命から、わずか30年足らず。当時の庶民の生活がどんなものだったか、という観点から見ても興味深かった。

 メアリーとは、ゴシック小説の金字塔「フランケンシュタイン」を18歳で書いたメアリー・シェリーのことだった。

 彼女は、妻子持ちのロマン派詩人、パーシー・シェリーと恋に落ちるが、借金から逃げ回る生活の中、生まれて間もない娘が亡くなり、詩人バイロンの邸宅にしばらく住まわせてもらうことになる。

 バイロンは貴族で、ゲーテから「今世紀最大の詩人」と称された。小説家になることが夢だったわたしは、貴族でお金の心配もなく、創作に没頭できる生活は最高だろうなと思っていたが、貴族の生活は数々の誘惑に彩られ、当たり前の贅沢品はもはやなんの喜びももたらさず、主人(あるじ)の精神の堕落とともに周りの人々も不幸になり、映画が進むにつれ荒んだ気分になる。貴族なんて、まったく幸せそうではない。いろんな中毒患者の苦しみをひとりで抱えている感じ。(ちなみに、メアリーの夫、シェリーも貴族。奔放なシェリーに両親が怒り、関係が疎遠になり、結果、シェリー夫婦は貧困に陥ったらしい)

 やはり適度の労働や節約生活は、人の心に軸を作り、わずかな幸せを心に響かせられる土壌のように思える。

 そして、当時の女性の寄る辺なさを思うと、怒りすら沸いてくる。女性が就ける仕事はほとんどなく、男から捨てられれば、シェリーの妻のように河に身を投げるか、メアリーの妹のように実家に帰って糊口をしのぐか、違う映画だけれど「レミゼラブル」のフォンティーヌのように身を落とすか、くらいの道しかなかったのだ。そういう絶望が、女性であるメアリーに、皆から疎まれ居場所のない世界に生まれてしまった怪人「フランケンシュタイン」の孤独や悲しみ、暴力を書かせたのではないかと思う。

 メアリーは「フランケンシュタイン」を書き上げて出版社を回るが、女性だから、という理由だけで、受け合ってもらえない。唯一、OKを出した出版会社は、「夫で高名な詩人、シェリーの著書ということにするなら」という条件付きだった。結局は、夫、シェリーの序文が付けられ、匿名で出版という形になったようだ。そういう理不尽さにがんじがらめにされながら人生を歩いていたのだ。ほんの少し前までの女性たちは・・・。

 映画を通して、メアリーを演じるエル・ファニングの演技が輝いているし、奔放な若き天才詩人パーシー・シェリーを演じるダグラス・ブースの魅力的なことといったらない。俳優たちの存在感が映画に深みや説得力をもたらしている。

 病弱だったわたしは、メアリーが生きたような時代を生き抜く自信はないけれど、一週間くらいタイムトリップしてみたいかも。

 

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