魚が登場する小説や詩

エッセイ

 うだるような夏がまたやってきた。

 この季節のなると、魚に関する小説や詩、海や川の風景がうわうわっと湧いてきて、わたしの脳内をくるくる回り出す。

 きっと、わたしの脳も涼を求めるのだろう。

 まず浮かんでくるのは、小説の「山椒魚」by 井伏鱒二。中学校時の国語の教科書に載っていて、当時は何とも思わなかったが、大人になるにつれ、スルメのように噛めば噛むほど味わい深くなってきた。

 小さな岩屋で2年間ぼっとして過ごしてきた、主人公の山椒魚がいつのまにか身体が大きくなって岩屋から出られなくなって絶望していたところ、その岩屋に一匹の蛙(準主役)が入り込んでくる。すっかりやさぐれていた山椒魚は蛙も穴から出られなくし、毎日悪態をつき、二匹は喧嘩ばかりして過ごす。最初は元気だった蛙は月日が経って弱り、自分の死が近づいてきたことを山椒魚に話す。山椒魚は、「お前はどう思っているのか」と尋ねると、蛙は答えた。「今でも別にお前のことをおこってはないんだ」

 蛙ももちろんかわいそうだけれど、自分のせいで(今となっては)友達を失おうとしている山椒魚の悲しみがじんわりと胸にしみてくる。(この話を読むたびに、わたしは夫を大切にしよう、と決意を新たにするが、すぐに忘れる)

 次に、思い出すのは、2015年の直木賞に輝いた小説「流」by 東山彰良のエピグラフである。

 「魚が言いました・・・わたしは水の中でくらしているのだから

  あなたにはわたしの涙は見えません」

 わたしは本屋で立ち読みしている時にこの詩に魅せられ「流」を衝動買いしたが、小説も息をのむほど面白くスケールの大きい感動もあり、本棚に置かずにはいられない1冊となった。ちなみに、この詩を書かれたのは、東山彰良氏の詩人のお父様。素敵な親子だなあ、と思う。

 そして、金子みすゞの詩、「大漁」。「みんな違って、みんないい」という詩も素晴らしいと思うけれど、わたしは「大漁」がすごく好き。

 「大漁」 

 朝焼小焼だ。

 大漁だ。

 大羽鰮(いわし)の大漁だ。

 浜はまつりのようだけど

 海の中では何万の鰮のとむらいするだろう。

 金子みすゞは、夫から離縁され一人娘を取り上げられたことに抗議し、26歳で服薬自殺をしている。夫から詩作も禁じられていたという。彼女の詩集を読んでいると、どんな事象も胸の奥まで響いてしまう繊細な少女の切迫した表情が見え、切なくなる。

 

 

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