小説「三つ編み」ーそして人生最高の言葉ー

エッセイ

 フランス人作家、レティシア・コロンバニが書いた小説「三つ編み」を読んだ。

 「三つ編み」(原題「La tresse」)は3つの異なる国で、置かれた境遇も違う3人の女性がそれぞれの運命の困難の中でもがき、苦しみ、立ち向かう物語である。作者はフランス人女性で、本国のフランスでは120万部売れ、32言語で翻訳され、映画化も進んでいるようだ。

 インド人でダリット(不可触民)のスミタは娘のラリータを救いのない、惨めな生活から抜け出せるように何とか学校に通わせたいと駆けずり回る。スミタは学校に通ったことがなく、6歳の頃からジャート族のトイレとされる穴を20か所まわり、一つ一つの穴から糞便を素手で籠に拾い集め、その対価として与えられる残飯を食べて生きているのだ。それが、彼女の「ダルマ」、義務、この世の居場所だと、自分の母親から教えられていた。

イタリア人のジュリアは家族経営の毛髪加工会社の倒産の危機を回避しようと苦悩する。家族と長年勤めてきた社員の生活のために。カナダ人の弁護士のサラは女性初のトップの座を目前にして癌の告知を受け、信頼していた上司や同僚、部下から真綿で首を絞められるように(能力主義の)組織から排斥されていく。が、何度も倒れながら、ギリギリのところで立ち上がっていく。 

 物語は群像劇になっていて、ダリットのスミタ、わずか20歳で家業を蘇生させようとするイタリア人のジュリア、三人の幼子を抱えたシングルマザーのカナダ人弁護士のサラ、それぞれの視点で進んでいく。そして3人の人生は「三つ編み」のように、紡がれていき、最後には結びつく。

 3人の女性は運命と戦うことを選び、運命に決して屈しない。その姿は感動的で、読み進めながらわたしは何度も息をのみ、3人の生きざまに目を見張った。

 しかし、わたしにとっての「三つ編み」の主役は、何と言ってもダリットのスミタだった。一番過酷な運命に生れ落ち、命を懸けてそれに抗い、娘のラリータために戦うことを止めないスミタ。

 わずかなお金を工面して、ラリータを学校に行かせることになったが、登校初日にバラモン階級の教師から侮辱され、服が破れるほど背中を鞭で打たれて娘は帰ってくる。そこで、スミタは遠くに住む親せきを頼りに、村から出ていくことを決意する。親戚が住む村には、ダリットが通える学校があるのだ。逃げおおせず、ジャート族に見つかれば、娘も自分も悲惨な死に見舞われることを覚悟して。

 「いいや、ラリータをはきだめにうちすてはしない。娘を呪われたダルマに渡さない」

 と、スミタが自分を奮い立たせる場面をわたしは何度も繰り返し読んだ。スミタがヴィシュヌ神という信仰を持っているところも心強かった。

 そして、この小説を通して、わたしは人生最高の言葉をプレゼントされた。

 息子と娘が年末から帰省していて、本好きの娘が元旦に「三つ編み」を読み終え、真剣な表情でわたしを見つめて、言った。

 「このスミタっていう人、お母さんに似ているね」

 わたしは嬉しくてほとんど泣きそうだった。

 親は自分の子どもに、どこかで、寂しい思いをさせたんじゃないか、寄る辺ない思いをさせたんじゃないか、自分を子どもより優先させて生きてきたんじゃないか、といろいろ思いめぐらせ、過ぎた日々を後悔する。

 「このスミタっていう人、お母さんに似ているね」

 娘の、この言葉だけで、わたしは残りの人生を生きていける気がした。

 息子もいつか、この本を読んで、わたしの顔を思い浮かべてくれたらいいな。

 

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