フランクル先生からの手紙

エッセイ

 わたしが「夜と霧」を読んだのは、今から34年前だった。

 当時、わたしは23歳で、世界にどんなひどいことが起きていて、今も起きているか十分過ぎるほど知っているつもりだった。(若かったからですね。今は、自分は世界のことなんて、ほんのわずかのことしか知らないことを認識している)

 だから、図書館で何気なく手に取り、その日、一気に「夜と霧」を読んだ時、人間が同じ人間にどんなに惨いことができるのか、しかもそれがその時から数えてわずか50年前まで行われていたこと、そしてそんな状況下でも人間らしく生きたフランクル先生のような人が存在したことを知って、荒んだ気持ちの中で大きな感動を抱き、しばらくショック状態になった。

 フランクル先生が、強制収容所で人間としての尊厳を維持できたのは、先生の人格はもちろん、精神科医としての知識が悲惨な状況を客観視する手助けになったこともあるだろうが、ユダヤ教という宗教をお持ちになっていたことが決定的な拠り所になっていたのではないか、とそんなことを感じた。ということは、宗教を持たない自分のような人間は極限状態になった時、どうなってしまうのだろう・・・。

 先生の御本からいかに感銘を受けたか、無宗教である自分の不安、原発だらけの日本に住んでいる絶望、終わらない世界の戦争と貧困、しかしどうにかして自分を立て直し、自分の存在を認めて生きていこうと思ったこと・・・。そんなとりとめもないことを便箋6枚に英語で綴り、先生が教鞭をとっていらっしゃったウイーン大学宛に送ったら2週間もせずにフランクル先生から返事をいただいた。感激して、涙がこぼれた

 わずか5行の返事だったが、わたしの質問に的確な答えをくださった。(その部分は秘密にさせてください)

 それから毎年クリスマスカードを送ったが、自筆で必ず返事をくださった。

 先生が亡くなる少し前からは、女の子のような可愛く丁寧な文字のメッセージが書かれたクリスマスカードが届き、ああ、先生はご病気なんだな、と唇を噛んだものだった。

 先生は1997年に92歳で亡くなられた。

 先生からの手紙はすべて、色褪せないように箱にしまっていて、心が弱っている時や辛い時にそっと取り出して読んでいる。

 

 

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