世界を広げてくれたYouTuberさんたち

エッセイ

 YouTuberって、本当にすごいなあ、と日々思う。自分で企画して、台本作って、出演して、自分の世界を伝えていく。並大抵の努力と根気ではできないことだろう。

 わたしは動物が好きで、面白い動物のYouTubeを見ては癒されることが多い。音楽のオーディション番組のAGT(アメリカン・ゴット・タレント)などもかかさず見ている。才能あふれる挑戦者のカタルシス感にハマってしまい、特に好きな場面は繰り返し見ている。(ゴールデンブザーが鳴る場面がたまらなく好き。自宅にゴールデンブザーを設置して、わたしが歌い、夫に鳴らしてもらいたいと思うが、その後の、金色の紙吹雪の掃除を考えるとやはりむなしい。え、そこって?)

 特に、投資系のYouTubeは、わたしの価値観を根底から覆してくれた。

 リベラルアーツ大学の両学長が、

 「年収1,000万円なんて庶民ですよ!不動産屋や自動車会社がチヤホヤしてくるのは、庶民に家や車を買ってもらうためです。「家や車は庶民でも買えますよ」なんて、言ったら、誰も買ってくれないでしょうからね。こんなことを言うと、怒られますかね」

 と、教えてくれたり、

 元機関投資トレーダーの先生が、数時間で、230、230、190(単位は万円)とトレードで利益を取っていくCFDのチャートを説明をしてくれたり、投資家ではないがメンタリストのDaiGoさんが、毎月9億円の利益を上げていて、

 「〇〇(某大手広告代理店)の社員って偉そうですよね。たかだか年収1,000万円のくせに~」

 などと、神経症病みのような表情でカメラに向かって目を光らせたりするのを見ると、胸がスッとする。

 わたしも、学生の頃、とある新聞社で会った、その大手広告代理店の年配の社員に威張られて、すごく嫌な思いをした経験がある。全員がそうじゃないとは思うけれど、名刺を見せつけ、ふんぞり返って、下手な英語を口走っていた。ああ、あのおじさんに、DaiGoさんの言葉を聞かせてやりたい。

 アラカンになった今では、組織の肩書で威張る人を見かけると(幸い、わたしの周りにはそんな人はいないけれど)、インドネシアのダニ族が目に浮かぶようになった。

               インドネシアのダニ族

 なんでダニ族かというと、視覚的に分かりやすいからだ。ダニ族では偉くなると、ぺ◯スに付けるひょうたんで作ったコテカが大きくなるとのこと。長老にへつらい、ライバルの足を引っ張り、コテカを大きくしてもらうより(いや、ダニ族は素朴な人の集まりで、そんな「半沢直樹」に出てくるような人はいないのかもしれないけれど)、いっそパンツを履いた方が快適に生きられるのではないか、と余計なことを思ってしまう。実際、ダニ族の若者はもうコテカなど、付けていないようだ。

 少数民族の文化が消滅していくのは残念という考え方も分かるけれど、SNSの発達で自分の立ち位置が分かり、広くて自由な世界を知り、人生の主体性を取り戻していく姿にはやはり清々しさを感じる。

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