不安神経症のわたしが気をつけていること

エッセイ

 アラカンという年齢を考えれば、副交換神経は落ち着いてきているはずなのに、わたしは不安神経症が治らない。

 ただ、今まで生きてきて思うことは、メンタルを病んでいる人はメンタルが健康な人と付き合うべきだということ。

 メンタルを病んでいる人は、一見、魅力的に見える。他人の目に敏感だから、ぱっと見礼儀正しくて気配りが行き届いている。人当たりも優しい人が多い。しかし、付き合っていると、マメ過ぎて疲れてきたりする。懐具合にもよるが、頻繁に(例えば毎週)近しい人に菓子などを配る人も、メンタルを病んでいるのではないかと思う。(こういう人は、子どもを持つと、過干渉や過保護な親になるだろう)

 徐々に支配的になってきて、しつこく連絡してきたり、言葉にこだわったり、自分を特別扱いすることを要求し始める。いわゆる、「かまってちゃん」にはわたしは注意しているし、わたし自身も他人に自分の特別扱いを要求しないように気をつけている。

 基本的に、わたしはLINEなどのメールのやり取りは、家族間でしか行わない。友人にLINEメールを送ると返信が気になって、何度もスマホを見るハメになり疲れて仕方がないからだ。

 心理学者の加藤泰三先生のご本に、「しつこい」ということは、成長しそこなった証である、と何度も出てくる。わたしも、自分が成長しそこなった人間だと感じるし、自分がしつこい性格だから、しつこいと思う他人を避けるようにしている。だって、しつこい者同士が友達になったら、即、共依存関係が生まれるのではなかろうか。

 でも、この「しつこい」という特徴の、神経症病みの人が、何かの研究や芸術に打ち込んだら、それはかなりの成果をあげることができるのではないか、と思ったりする。

 以前、(忘れたけれど平安時代か室町時代の)古い経本に挟まっている、女性の髪の毛(当時は、出家した女性の髪の毛で、バレンが作られ、経本の作成時に使われていたらしい)の研究をしている女性に、

 「どうして、あなたはずっとその研究を続けているのですか?」

 と、尋ねたことがある。すると、その女性は、

 「これは病気なんですよ」

 と、笑いながら答え、わたしは妙に納得した。(その女性は、神経症病みにはまったく見えなかったけれど・・・)

 わたしの夫の特徴は、メンタルがすこぶる健康であることだ。毎日、笑顔で帰ってくるし、ささやかなジョークで心の底から笑わせてくれる。そして、ここが重要だと思うのだけれど、わたしは夫の前では素のままで過ごすことができる。何かをとりつくろったり、機嫌を取ったりする必要がない。自分が、太陽の光と十分な水を与えられた、無敵感半端ない野草にでもなった気がする。

 だから、夫が帰ってくると、

 「あ、嬉しい」

 と、心が単純に反応する。結婚する時は考えもしなかったけれど、メンタルが健康な人と結婚できたことは、自分にとってどれだけラッキーなことだったかと、時々、神様に感謝したくなる。

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