人は他人を見る時、自分が気にしている部分を見る

エッセイ

 わたしの夫が自分のパーツで気にしているところは出っ歯だった。

 結婚して間もない頃は、

 「このアナウンサーは出っ歯。この俳優は出っ歯じゃない。この魚は出っ歯。」

 などと、テレビを見ながら、出っ歯かそうでないかを、逐一、わたしに知らせていた。口を閉じていても、その部分の盛り上がり方で出っ歯かどうか分かるらしい。わたしは、他人を出っ歯かそうでないかという目で見たことがなかったので、始めはちょっと驚いた。(しかし、すぐに慣れた)

 また、夫はわたしの仕事の愚痴を聞くのが嫌いで、わたしが悩みを話すたびに困った顔をしてうつむき、話がひと段落すると、

 「終わった?」

 と、嬉しそうに顔を上げていた。

 そのうち、

 「出っ歯の人に悩みを相談しても無駄だよ。ぼくも悩み事がある時は、出っ歯の人には相談しない」

 などと言うようになり、その理由を尋ねると、

 「それは心で感じることだから、言葉にできない。出っ歯の人だけにしか分からないんだ」

 などと、出っ歯特権を主張し始めた。何だか、わたしもだんだんアホらしくなり、夫に愚痴を言うのは止めた。

 一方、わたしが気にしていたのは、ふくらはぎが太いことと、胸が小さいことだった。だから、若かった頃は、同じ年頃の女性を見かけたら、つい、ふくらはぎと胸に目がいっていた。

 一度、風呂上がりに、自分の重量感たっぷりのふくらはぎを見せ、

 「このお肉が、ふくらはぎではなく、胸についていたらよかったのに」

 と言うと、

 「どこかの鬼に頼んでおいで」

 と、夫は笑った。

 しかし、アラカンにもなると、自分のガシッと太いふくらはぎが頼もしく思えてくるから、気持ちとは不思議なものだ。もちろん、骨密度が大事だろうけれど、わたしは自分の脚が弱る気がしない。小さな胸も垂れないから、なかなか気に入っている。

 夫は今、自分の頭髪が薄くなっていることを気にしていて、テレビに出てくる中高年男性がカツラを被っていないかどうかに注視している。

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