Twitterでじんわりと感動したこと

エッセイ

 2年ぶりくらいにTwitter を見始めた。

 2年前、Twitterに初めてログインした時は、猫や投資、海外移住のtweetsを見過ぎて疲れてしまい、時間も溶けていく感じで、これは良くない、と思い、数ヶ月でアカウントを消した。

 今回は再開してまだ一ヶ月も経っていないが、ちょっとしんみり考えさせられたことがあった。

 アラカンになって、わたしはタイ移住に興味を持ち始めた。それで、タイ関連のtweetsをいろいろ探していたら、タイの”嬢”と旅をしている日本人男性の方々のtweetsを見つけ、追いかけてみた。

 その方々は、いずれも、毎年、数回に渡って”嬢”の元に通われ、数週間のヴァカンスを一緒に楽しまれているようだった。

 その方々のtweetsが何とも素朴で、人間味が溢れていて、わたしはちょっとびっくりした。

 例えば、

 「嬢の実家で犬の世話など」

 と、尻尾を振るかわいい犬の動画を載せていたり、

 「嬢が食べたいと言うので、ステーキハウスへ」

 と、とってもオシャレで美味しそうなステーキの写真を載せていたり。

 「自分の腕で血を吸っていた蚊を叩こうとしていたら、「その蚊はいずれすぐに死ぬのよ。タンブン(喜捨)したと思って、その蚊を逃がしてあげて」と嬢が言った」

 などというtweetsを読んでいるうちに、タイの嬢に会いにいく日本人男性というものを、今まで自分が色眼鏡をかけて見ていたことに気がついた。”嬢”とヴァカンスを楽しむ男性たちは皆、鷹揚で、楽しそうで、タイでの時間をいつくしむように過ごされていた。

 その女性の一生や家族の責任を背負うことはできないけれど、毎年、数週間一緒に過ごしたい。そのためにもう一年間仕事を頑張る。そうやって人生の単調さや辛さをやり過ごす。だからヴァカンスは最高に楽しみたい、お金を惜しまず、素晴らしい景色を見て、タイの美味しいものを食べつくす、そして嬢と至福の時を過ごす・・・。そういう雰囲気がtweetsから漂っていて、これはもう純愛に近いのでは、などと考えさせられた。

 その男性たちの日々を追っているうちに、いつのまにか、わたしは、自分もタイが大好きでいつか住んでみたいと思っていること、ついては生活費がいくらくらいなのか教えてほしい、と、あるひとりの男性にtweetしていた。

 その男性は、

 「生活費は何を望むかによってまったく違ってきますから、物価などはタイに来てみて自分でつかんでいくしかないと思います」

 という、もっともなリプライをくれたものの、その後、自分たちの食事にいくらかかったのかなどをバーツで示してくれるようになり、屋台飯や夜店の焼き鳥、アイスクリーム、美味しそうなパンやフルーツ、スーパーで展示している掃除機や電子レンジなどの電化製品、洗面器や石鹸、しいては日本に荷物を送る手順や費用までずっとtweetしてくれたのだった。バンコクの都会的な街並みやパタヤの静かな海辺の風景、その時の気温、自分が感じたこと・・・。

 その細やかさは、人の良さと優しさに溢れていて、気がついたら、わたしは彼の、日々何度も更新される、すべてのtweetsに「いいね」を押し続けていた。

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