推理小説家の松本清張先生を、わたしは物心がついた頃から、ずっと尊敬している。先生は数々の不運を努力で踏み上げ、凌駕し、決して屈しなかった。
極貧の幼少期を過ごし、小学校を卒業するとともに働かなくてはならなかったこと。低賃金職場を転々とし、やっと新聞社の正社員になるも、単調な仕事と学歴差別に苦しみながら、このまま定年まで働かなければならないのかと鬱屈した日々を過ごされていたこと。清張先生が幼少期に一時的に住まわれていた下関市田中町に、わたしも何年間か住んだことがあり親近感もある。
そして、30代半ばに開花した推理小説家としての才能。あの、膨大な素晴らしい作品を残された精神力を想像すると、感動するし、尊敬するし、清張先生が存在してくださったことに感謝したくなる。
わたしは不安神経症という持病があり、元々、推理小説は苦手で、「黒の手帖」も読んでいるうちに指先が震えてきて本を閉じてしまった。でも、歴史物やご自身のことを綴られた「半生の記」や「父兄の指」、また怖さはない「点と線」や「砂の器」などの推理小説はよく読んでいた。
清張先生の、
「犯罪を犯す人の動機には、それ相応の理由がある」
という言葉にも胸を打たれる。
きっと貧困や悔しさ、時代的な暗さに苦しまれたことが、犯罪に手を染めた人の動機の悲しみを深く考えずにはいられなくなった理由ではないか、と想像したりする。
松本清張記念館に行った時、案内の男性がふと下唇を突き出して微笑んだことを覚えている。そう、松本清張さんの下唇は特徴的で、前に1センチくらい飛び出ているのだ。
松本清張先生のファンで、こういう顔をして、嬉しそうに先生の小説について語り出す人は多い。着物を着て腕組みをした清張先生も、きっと天国から笑って見ていらっしゃるだろう。ちょっと下唇を突き出して。
本好きの娘に電話で清張先生の話をし、
「お母さんの下唇は前に出ているわけではないけれど、分厚いから、小学校高学年の頃のあだ名は『下唇ビロンチョ』だったのよ」
と、昔話をしたら、娘はキャッキャと大笑いした。
「そんな半世紀近く前のことを今でも覚えているところがキョウフー。でも、そんなあだ名を付けられていたということは、お母さん、その頃、虐められていたの?」
「ううん、だって、お母さんは、その頃が勉強も作文も絵もピークだったから、全然、虐められなかった。まあ、『下唇ビロンチョ様』って感じだったんじゃないかなあ。知らないけど」
「アハハハ、じゃあ良かったね」
「でも、キョウレツっちゃ、キョウレツよね」
と、言うと、
「それな」
と、娘は再びキャッキャと笑った。
まあ、能力のピークを小学校高学年で迎えてしまったわたしは、その後、下降の一途を辿り、高校を卒業した頃にはすっかりドロップアウトして途方に暮れることになるのだけれど。でも、何とかアラカンの今になるまで生きて来れたから、良しとしよう。
そして、わたしの分厚い下唇は、息子へ遺伝してしまった。息子は親とはあまり話をしないが、居間で顔を合わせていると、マンボウの親子が海の底でブクブクと息をしながら顔を突き合わせているような気分になる。シーンとした海の中で、ゆらゆらと親子でたゆたっているような・・・。
若い頃は悩みの種だった下唇は、今ではわたしが自分の顔の中で唯一気に入っているパーツとなった。ホント、気持ちって変わるものだ。
下唇だけなら、わたしはジェニファー・ロペスと並ぶことができるかもしれない。いや、そんなはずないか。ミック・ジャガーかな。
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