白人特権、イングリッシュスピーカー特権

エッセイ

 15年ほど前に、職場の近くのカフェでイギリス人のジョン(仮名)から英語を習っていた。

 ジョンは日本人女性と結婚していて、小さな子どもが二人いて、日本に住む特別なスキルを持たない外国人の多くがそうであるように、経済的にひどく困窮していた。

 「懐事情が悪くなって、妻との関係が険悪になって・・・昨晩も、夜中の12時まで家の近くの公園で過ごしたよ。妻が眠るまで家に戻れない、子どもたちの前で怒鳴り合いをするわけにはいかないからね」

 よくそんな話を聞いていたが、二人の幼子を抱えた日本人妻の立場で考えると、キーキー言ってしまうのも分かる気がした。だって、いくらイギリス人の、背が高くハンサムな夫でも、日本に住み日本語ができなければ安定した仕事に就ける可能性は極めて低い。若い時は恋愛で舞い上がって、お金のことなんて二の次、三の次、と思いがちだが、貧困は家庭も夢も希望も次々に潰していく。時には命すらも。

 「イギリスに帰って仕事を探した方がいいんじゃないの?そっちの方が、家族の生活を立て直せると思うよ」

 と、わたしは何度、諭したか分からない。家族の将来と現実を見て、と。しかし、その度にジョンは、

 「日本のオニギリは最高」

 だとか、

 「イギリスの医療事情が悪すぎる。まず、ホームドクターにかかり、専門的に診てもらえる総合病院に紹介されるまで2週間はかかる。大抵の病気は2週間以内に治るから、医療は無いに等しい」

 だとか、

 「ぼくはもうウオッシュレットがないと生きていけない」

 だとか、なんとかかんとか言っていた。

 「じゃあ、同じ市内のイギリス人の友達を見つけて、今後のことを相談してみたら?」

 と、仕方なく言うと、

 「日本に住む白人はおかしな奴が多いんだ。目が合うだけで、睨みつけてくる。縄張りを侵されたゴリラみたいに」

 と、ジョンは眉をひそめた。

 彼の話によると、日本…(というよりアジア全体)に住む白人には取り巻きというか、お世話をしてくれる日本人が一定数いて、その日本人たちの好意で白人が生き延びられるという構造があるという。だから、古参の白人にとって、新たな白人の存在はライバル、あるいは敵ということになるらしい。(本当かな…?)

 ある時、ジョンとデパートのエレベーターに乗った時、偶然にもわたしと同じアパートに住む高齢の男性とばったり会った。その男性は、まったく愛想がなく、わたしが挨拶してもいつも顔すら上げてくれなかった。耳が遠いのだろう、と思うようにしていた。

 しかし、耳が遠くて不愛想なはずのその男性はジョンを見て、

 「which foor are you going to?」

 と、にっこりと笑ったのだった。

 「Oh, thank you, the nineth floor, please」

 とジョンが答えると、彼はウインクして、

 「No problem, it’s my pleasure!」

 と、言ってエレベーターの9階のボタンを押し、その後、素の表情に戻って、鳩を見るような目でわたしを見た。

 英語を話す白人が日本に住む理由は、こういうことなのかもしれない、とふいに腹落ちした出来事だった。

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