娘が今年の1月に帰省していた時、たいそう毛羽立っていたブラウンカラーのセーターを着て出かけようとしていたので、
「あなた、そんなセーターで出かけるのはやめなさいよ。表面が毛羽立ちすぎているじゃないの。そういうのは家の中で着て、出かける時はきれいなセーターを着なさい、ね」
と、わたしが言うと、
「あら、お母さん、このセーターは買ったばかりなのよ。今、若者の間で流行っているダメージセーターよ。毛羽立っているのがおしゃれなの。だから、このセーターは破れない限りずっと着られますよ、って店員さんからも言われたのよ」
と、娘が言った。
「7,000円もしたのよ、バイト代が吹き飛んじゃった」
と、娘が指さすあたりを見ると、某ブランドのワニのマークが付いていた。
目から鱗、とはこういうことを言うのだな、と、わたしは娘のセーターをしげしげと見た。そう言われてみると、母親に似ずスラッと背が高い娘がダメージセーターを着ている姿は、アバンギャルドな感じもし、新鮮だ。(こういうのを明治時代には、モガ(モダン・ガール)と呼んでいたのかもしれない。え、ちょっと違うって?)
しかし、考え方にウイットが効いていて楽しいし、斬新だと思う。最初からダメージのあるセーターはずっと着られる、何故ならダメージは最初からあるのだから、と考え付いたデザイナーは天才じゃないかしら。こういう価値観を根底から覆す発想が、若者の心をぎゅっとつかむのだろう。
アラカンのわたしは、ダメージセーターを着て出かける勇気は持てないけれど(また、似合いもしないと思う)、古ぼけたカシミアのセーターを何とか有効活用できないものかと思った。
わたしは、ずっと前にユニクロで買ったカシミヤのセーターを3枚持っているが、どれも首回りもよれよれで、結構な毛玉が付いている。しかし、捨てるのが惜しくてずっとクリアボックスに仕舞っていた。
古くなってもカシミアのセーターは温かい。破れたカシミアのセーターは家の中で着ていて、上に息子の高校のジャージを羽織って過ごしている。破れていないものは、上からふわっとしたきれいな柄のブラウスを着れば外出着にできるのだと思いつき、近所のイギリス服の店で素敵な柄のものを3枚ほど新調した。外出先で暑く感じた時はセーターを脱ぎ、ブラウスだけで過ごすこともできる。(オー、ナイス!)
この話を夫にしたら、
「ぼくも靴下について娘と同じ見解を持っているんだ。破れた靴下は冬に二枚重ねて履けば、全体的には破れていないように見え、不思議な柄が入っているように見える。靴下も一生ものだよ!」
と、ボロボロな靴下を二枚重ねで履いた足をわたしの前に持ってきて見せた。
いや、夫よ、それは節約とは呼ばないよ、単にけち臭いよ、もの悲しくもなるよ。
夫の靴下から、ぷーんと悲しい臭いが漂ってきた・・・。
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