吉田松陰にまつわる強烈な思い出

エッセイ

 職場で「吉田松陰餅」という旅行土産の菓子を皆でいただいた。緑色の素朴な土産菓子を見た瞬間、42年前の強烈な思い出が脳裏を過った。

 実は、わたしは山口県のとある漁村で生まれ、12歳まで過ごした。その後、他県に引っ越し今も住み続けているのだが、高校一年生の時に、自分が山口県出身であることを隣の席の男の子に話したら、その子の顔色が変わり、

 「山口県人で良い人は、吉田松陰だけ!」

 と、語気を荒げられたのだった。

 この思い出話をすると大抵の人は、

「その男の子は山口県の女の子に手ひどく振られたことがあるんじゃない?」

 と慰めてくれるが、わたしはそういうことではない気がする。もちろん想像だが、その子は福島県の会津藩の出身だったのではなかろうか。

 でも、わたしの祖父は福岡出身で、祖母は鹿児島出身なのよ。まあ、そんなことを言ったとしても、

「薩摩藩の出身なのか!」

 あるいは、

「西郷隆盛と大久保利通だけは許せん!」 

 などと、その男の子からは、どのみちキレられていただろう。

ずっと前にテレビで見たのだけれど、「赤穂浪士」の吉良上野介の子孫と大石内蔵助の子孫が、討ち入りのあった日を記念日として集まって宴会を開き親交を深めているようだ。もう、すべて、そういう感じで水に流してください、って思う。

 いまだに歴史に拘って怒っている人がいるなんてありえない、と思う人も多いだろうし、わたしもナンセンスだと思う。けれど、大阪城を観光した時、

 「クソ、徳川家康の野郎!ハン!」

 などと、罵っていた中年男性(おそらく大阪府民であろう)を見かけたことがあることを思えば、一定数は存在するのだと思う。(体感では、日本人の5パーセントくらい。そのうちの2パーセントは京都に生息している気がする。← これは完全なわたしの偏見です)

 10年以上前に、吉田松陰の松下村塾(「明治日本の産業革命遺産」として1995年7月に世界文化遺産登録された)を家族で見学したことがある。味わい深い素朴なこじんまりとした建物の中で、当時の門下生たちが日本の未来に目を輝かせ懸命に勉強したことだろう。(でも、冬はとっても寒そう)

 娘に、

「昔は男の子しか、勉強できなかったのよ。それを思えば、あなたはラッキーな時代に生まれてきたじゃない。いっぱい勉強しないとね」

 と、言ったところ、どこか腑に落ちない顔をしていた。残酷なまでの男尊女卑の時代を想像して気が滅入ったのだろう。

「わたしたちは当時のお殿様よりはるかに快適に生きているのよ。スマホがあるし、どこへでも旅行に行けるし。クーラーもあるし、アイスクリームも本も何でも手に入れられるでしょう」

 わたしが娘の顔を覗き込むと、

「お母さん、知ってる?日本で一番金平糖を食べたのは織田信長と言われているのよ」

 と、娘は少し優しい表情になって、そんなことを教えてくれた。

 

 

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