わたしは毒親育ち

エッセイ

 ごく普通の温かい家庭に育った人は「毒親」という言葉の意味を理解するのは難しいのではないか、と思う。

 「一度、じっくり話し合えば、分かり合えるんじゃない?」

 などと言われたりするが、とっくに何百回と試みている。そして、

「そんなことを言われるなら、お母さんは死にます」

 と、逆ギレするのが毒親なのである。

 会えば、何時間も夫や近所の人について、自分がいかにみじめな育ち方をしたか、貧しかったか、愚痴を言い続ける。会っている時間は愚痴で埋められる。つまりわたしはゴミ箱にされる。

 お金のない毒親は、必ず子に無心する。

「断ればいいのじゃないの?」

 と、思うかもしれないが、給料日に会社にお金を取りに来たりするのだ。そして、いかに自分が無力で貧しいかを皆の前で訴えたりする。

 わたしは、2、3歳の頃からずっと、

「お母さんが死んだら、叔父さん(とっても気難しい)のところに行きなさい」

 と呪いのように言われていた。貧しい毒親は子を脅す時、死ぬ死ぬ、と言う。他にネタがないのだ。子どもをいじめて、自分の憂さを晴らす。80歳を過ぎた今でも、「お金をくれないなら死んでやる」などと言う。何十年と「死ぬ、死ぬ」って言っているけど、まだ生きているじゃないの、って思う。(もちろん、本人には言いません)

 部屋はいつも散らかっていたし、仕事も家事も嫌いで、寝転がって本を読んでいた。暇で元気だから、言葉尻を捉えられては何時間も責めさいなまれる。わたしの母は発達障害だったのかもしれない。

 そして、「家族の愛が一番」と口癖のように言う。そういう時、「誇張は不在を表す」とはこういうことなのだなあ、と思う。本当に家族の愛がある家庭では、美味しい料理があり、優しい言葉があり、皆の居場所がある。お金をむしられることもない。したがって「家族の愛が一番」などと、ことさら強調する必要はない。

 でもね、毒親の親も毒親なのですね。母はわたし以上に不幸だったことは間違いない。

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