外国に行って、日本のありがたみに気付く

エッセイ

 わたしは、生粋の冷え性である。冬になると手足の先が痺れるほど冷たくなり、しもやけに苦しんだ。また、子どもの頃は身体が弱く、冬場は小学校には通えないほど、しょっちゅう風邪をひき、高熱を出していた。

 だから、わたしが、常夏の東南アジアに憧れ、物価が安いこともあり、「いつか移住したいなあ」などと思い始めたのは自然な感情の流れだったと思う。

 しかし、昨年、タイ(5月と11月)とベトナム(7月)に行き、蒸し暑さに打ちのめされ、生まれて初めて寒い冬が恋しくなった。鼻から熱風を吸うのと、冷気を吸うのと、どちらがストレスが少ないのか、ということを嫌というほど感じさせられたのだ。

 東南アジアのローカル食堂には壁がない。当然ながら、ローカル食堂にはエアコンは設置されていない。冷房の効いたレストランは高級店なので値段は日本と変わらず、タイのバンコクでは、和食や洋食は日本より高かったりする。

 ベトナムのハノイで経験した、ぼったくりも辛かった。最初に200円と聞いて乗ったシクロ(日本でいう人力車のようなもの)も、降りる時は2,000円を要求された。それを、1,000円まで値切ると、相手は露骨に嫌な顔をし、ひったくるようにお金をとって、フンッと横を向く。ホテルで1万円を両替したら、7,500円分のベトナムドンを渡される。観光タクシーを呼んでもらったら、英語を話せない青年が傷だらけのバンでやってきて、最初の約束の2倍の料金を取られる。東南アジアには、得てして外国人価格というものがあり、有名な観光地の寺院も、現地の人はただだけれど、外国人は2,000円ほどとられるなんてことが、普通にある。

 また、東南アジアの社会制度にも考えさせられるものがあった。わたしは、タイのチェンマイで、やり手のビジネスウーマンの友達ができ、タイの年金は60歳から600バーツ(約2,400円)、70歳から700バーツ(約2,800円)を支給されるのだと聞いて、驚愕した。よほどの高給取りで十分な投資や貯金がある人たち以外は、子どもの世話になれない限り、死ぬまで働かないといけないということだ。また、医療費が高額で、癌等に罹ったら治療を諦める人が多いという。

 日本は、いろいろ窮屈に感じる場面が多い。労働者は賃金に見合わないほど、ピリピリと、本当に蟻のように働いている。どこにいても、何かと気を使い、他人がぶつかって来ても「すみません」と謝らなくてはならない。(こんなに簡単に謝っていたら、外国ではお金を要求されるのではなかろうか)常に謙遜し、相手が謙遜すれば「いえいえ、そんなことはありませんよ!」などと、よく分からない会話をしなければならない。

 その点、東南アジアでは、肩の力を抜いている、テキトーな人が多い。それが心地よい。フルーツパラダイスでもあり、カットマンゴーが山盛り入ったパックをスーパーマーケットで150円で買えたりする(ドリアンやドラゴンフルーツ、日本にはないフルーツもいろいろ安価で楽しめる)。現地の食べ物も、びっくりするくらい安くておいしい。わたしは、ベトナムのハノイで、「ブンチャー」(約250円)という麺料理を食べ、感動で脳が震える、という経験をした。タイのラン島の海水は、ラムネのように透き通っていた。鮮やかな蘭の花々や突き抜けるような青い空、黄金色に輝く寺院・・・。1時間で1,000円ほどのマッサージもすっごく魅力的。

 ヨーロッパもいつかまた行ってみたいが、食べ物が口に合わないし、治安や物価もつかみどころがないなあ。

 しかし、ひどく疲れた時に、寿司と赤だしの味噌汁、抹茶アイス、緑茶を飲むと心からほっとし、満たされた気分になる。歌舞伎を観ると、その気迫と美しさに圧倒され、誇らしい気持ちになる。日本人に生まれて良かったと心から思う。歌舞伎の世界の人情というものがじんわり胸に沁みてくる。

 アラカンになると、なんだかんだで日本が居心地よく思えてくる。柔軟性がなくなってきたのかなあ。

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