太陽から逃れられなかった夏

エッセイ

 もう、あっという間に10月も半分過ぎようとしている。暑い夏がいつの間にか終わっていた。

 今年の春から夏にかけて、わたしは、あることに傷つき、ずっと怒っていた。

 それは、いわゆる義憤というもので、私憤はもちろんダイレクトに辛いものだが、義憤というのはじりじりと低温やけどのような痛みが続く。

 そう、わたしは、今年の夏は、心の低温やけどの痛みに苦しんでいて、仕事と食事の用意をどうこなしてきたのか、よく覚えていない。休日はほとんど横になって、ぼうっと天井を眺めて過ごした。

 その義憤については、エッセイ「どうしても「許せない人」への怒りの処方箋」で書いたので、あえてここでは触れないこととします。

 そんな中、7月に数日間、ベトナムのハノイに行った。日本よりも、湿気と暑さの不快指数はぐんと上がり、もうろうとしながらホアンキエム湖の周りを歩き回った。ハロン湾クルーズ船に乗ったが、眼前に広がる海と岩が怒っているように見え、わたしも睨み返したりした。デッキに出ると湿気をはらんだ熱い海風に煽られ、目を開けているのさえ辛かった。ベトナムのあちこちでボッタクリに遭い、その度に怒りが湧きあがり、自分の身体中から妖気が出ている気さえした。

 唯一、わたしの心が緩んだのは、ハロン湾クルーズの乗り換え場ですれ違った、若い白人女性の太腿に、太宰治の刺青シールが貼ってあるのを見た時。時間がなくて、ほとんど話はできなかったが、「太宰文学が好き」と微笑んでいた。了解を得て、写真を撮らせてもらった。世界にはいろんな人がいるなあ、と思うと、少しだけ気分が楽になった。

 それにしても、夏は怒りの感情が強まる気がする。「すごく暑かったから、あんなことを言ってしまった、してしまった」というセリフを誰でも過去に何度か聞いたことや、あるいは経験をしたことがあるのではないだろうか。

 そういう感覚をよく表しているカミュの「異邦人」であろう。「太陽が眩しかったから人を殺した」という言葉は、一度聞いてしまうと忘れることができない、宝石のように惹きつけられる言葉だと思う。

「陽の光で、頬が焼けるようだった。眉毛に汗の滴がたまるのを感じた。それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。あのときのように、特に額に痛みを感じ、ありとあらゆる血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。焼けつくような光りに耐えかねて、私は一歩前に踏み出した。私はそれがばかげたことだと知っていたし、一歩体をうつしたところで、太陽からのがれられないことも、わかっていた」
(『異邦人』77ページより引用)

 「太陽から逃れられない」夏の絶望。

 わたしも、今年の夏は、そんな絶望と過ごしてしまった。

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