自己愛的な言動に傷ついてきたあなたへ~あなたの価値は、誰にも下げられない~

エッセイ

 親、上司、パートナー、友人。

 身近な誰かから繰り返し否定され、責められ、こちらの事情を顧みない要求をされる。説明しても伝わらず、気づけば「わたしが悪いのかもしれない」と、自分ばかりを責めている。

 そんな関係に苦しんでいる人はいないだろうか。

 わたしも、母や職場の人との関係に長く苦しんできた。自分の身に何が起きているのか知りたくて、心理学の本などを読むうちに、自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder、以下NPD)という言葉を知った。

 ただ、わたしは専門家ではない。母や職場の人がNPDであったかどうかを、判断することはできない。

 日常で使われる「ナルシスト」という言葉や、自己愛的な傾向があることと、専門家が診断するNPDは、同じではない。

 ここでは、誰かに診断名をつけるのではなく、わたしが経験した関係を振り返りながら、傷つく関係から自分を守るために考えてきたことを書いていきたい。

外からは、見えにくい関係がある

 わたしが苦しんだ関係では、周囲から見える相手の姿と、わたしに向けられる言動に、隔たりがあった。

 人前では親切だったり、思いやりのある言葉を口にしたりする。その一方で、二人になると否定や要求が続く。誰かに相談しても「あの人が、そんなことをするはずがない」と言われてしまう。

 また、一方の話だけを信じて、もう一方を責めたり、距離を置いたりする人もいる。

 その人たちに悪意があるとは限らない。けれど、事情を確かめずに発する言葉や態度も、傷を深くすることがある。

 そんなことが続くと、傷つく自分のほうがおかしいのではないか、と思えてしまう。

相手の心理を、すべて解き明かす必要はない

 なぜ、こんなことを言うのだろう。

 なぜ、こちらの話は聞いてもらえないのだろう。

 わたしは、何度も考えた。

 NPDについての医学的な説明では、称賛を強く求めることや、他者への共感の難しさ、自尊心の傷つきやすさなどがあげられる。誇大的に見える面と、傷つきやすい面の両方が現れることもあるという。

 そうした説明を読んで、腑に落ちることはあった。けれど、それだけで、目の前の人の言動の理由がすべて分かるわけではない。

 弱々しく見えること、つらい過去を語ること、批判に傷つくことだけで、だれかをNPDだと考えることもできない。その苦しみは、本当である場合も多いだろう。

 だから今は、相手の心を解き明かすことよりも、「実際に何を言われ、何をされているか」に焦点を当てて考えていきたい。

 断ると責められる。こちらの事情を伝えても要求が続く。話し合うたびに、人格を否定される。

 そうしたことが繰り返され、自分が疲れ切っているなら、相手を理解できなくても、関わり方を変えてよいと思う。

違和感を、すぐに打ち消さない

 話が食い違う。以前とは違うことを言われる。確かめようとすると、「そんなことは言っていない」「あなたの記憶がおかしい」と返される。そんなやり取りが重なると、自分の感覚に自信が持てなくなる。

 もちろん、記憶違いや、受け取り方の違いは誰にでもある。違和感があるからといって、こちらの解釈が必ず正しいとは限らない。でも、相手が否定したからといって、自分の感じた苦しさまで打ち消す必要はない。

 起きたことを日付とともに書き留める。メッセージを残す。関係の外にいる、信頼できる人に相談する。気持ちと出来事を、少しずつ確かめていく。相手が、こちらの言葉や行動の一部だけを切り取って責めてきても、それをそのまま受け取らず、前後の流れを思い出してみる。

わたしも、「必要とされたい」と思っていた 

 関係を振り返ると、相手の問題だけではなく、自分の考え方の癖にも気がつく。

 誰かに必要とされることで、自分にも価値があると思いたかった。

 頼られると、断りにくかった。自分が我慢すれば丸く収まる。もう少し尽くせば、今度こそ分かってくれる。そう考えて、差し出し過ぎたのかもしれない。

 誰かと関わり、その人の喜びを自分の喜びとして感じることは、自然なことだ。人から認められて、元気になることもある。

 ただ、相手の反応だけで自分の価値を確かめようとすると、断ることが自分の価値を失うことのように怖くなる。

 感謝されなくても、断っても、役に立てない日があっても、いい。自分を粗末にしないよう気をつける。わたしは、ある時から、少しずつそう思うようになった。

振り返ることと、自分を責めることは違う 

 もっと早く断ればよかった。

 無理をしてまで応えなくてもよかった。

 そう思うことはある。

 でも、断れなかったことや、信じたことが、相手の侮辱や理不尽な要求を正当化するわけではない。

 親子の関係なら、子どもには逃げ場がないこともある。職場や暮らしの事情で、簡単には離れられない場合もある。

 離れられなかった自分を、後から責めすぎないでほしい。

 自分の関わり方を振り返るのは、これからの選択肢を増やすためだ。

 何を引き受け、何を断るのか。どこまでなら無理なく関われるか。そして、何より、自分をないがしろにしていないか。    

 過去の経験から、これからの自分を守る方法を考えていきたい。

相手の苦しみを、背負わなくてよい

 わたしに絡みつき、攻撃してきた相手にも、苦しみがあったのだろう。そう考えると、離れることに罪悪感が湧くこともある。

 けれど、相手の苦しみを理解し認めることと、それを背負うことは別だ。

 話を聞くことはできても、相手の人生を引き受けることはできない。こちらの我慢を重ねたからといって、相手の生き方や、二人の関係が変わるとは限らない。

 NPDにも、治療によって改善する可能性があるという。だから、誰かを「絶対に変われない人」と決めつけたいわけではない。

 ただ、相手の苦しみを、自分が引き受ける必要はない。

 相手の回復を願いつつも、自分が距離を取ることは、自分を守るうえで大事なことである。

距離を取ることは、自分の人生を守ること

 断る。連絡を減らす。お金の要求には応じない。必要な話だけをする。

 距離の取り方は、関係や事情によって違う。一度にすべてを変えられなくても、出来ることから始めていい。

 長い説明をして納得してもらおうとするほど、疲れ切ってしまうこともある。

「今回はできません」

「その話は、ここで終わりにします」

 それだけで、自分の意思を伝えてよい場合もある。

 ただ、拒否をすると脅されるなど、身の安全が心配な関係では、ひとりで対処しようとせず、相談機関などの助けを借りてほしい。

 自分一人では、自分を守れないとき、誰かの力を借りていい。

誰かの評価で、あなたの価値は決まらない

 否定されたり、悪口を広められたりすると、社会での評判や人間関係が傷つくことはある。

 その痛みを、「気にしなければいい」の一言で片づけることはできない。

 それでも、誰かの言葉が、あなたの価値を本当の意味で下げることはできない。

 誰にでも欠点はある。判断を誤ることもある。必要なら、直せばいい。

 でも、欠点があるからといって、貶められたり、利用されたりしてよいわけではない。

 あなたの長所や努力まで、否定されることもある。けれど、相手が認めないからといって、それらがなくなるわけでもない。

「わたしにも至らないところはある。でも、この扱いを受け入れる必要はない」

 と、胸を張っていいのである。

これからの関係は、選び直せる

 傷ついた経験は、その後の人との関わり方に影響を与える。同じことを繰り返さないために、そして、自分が誰かを傷つける側にならないために、自分の言動を見つめていくことも大切だろう。

 断られたときに、その人の意思を尊重する。傷つけたことに気づいたら、謝る。自分の不安を、誰かにすべて解決してもらおうとしない。

 うまくできないときは、相談して助けを借りる。

 これからの関係を選び直すことはできる。

自分の時間は、自分に使おう

 散歩をする。本を読む。植物を育てる。好きなことを学ぶ。

 気の置けない人と、ご飯を食べる。何もせず、ゆっくり休む。

 誰かの機嫌を取るためではなく、自分が心地良く過ごせる時間を、少しずつ取り戻してほしい。

 誰かに認められるために、苦しみ続けなくてよい。

 これからの時間を、どうか、あなた自身のために使ってほしい。

 あなたの人生は、あなたのものだから。

※この記事は、わたしの経験と学びを元に書いたものです。特定の人の診断を目的としたものではありません。辛さが続くときは、医療機関や公認心理師・臨床心理士などに相談してください。

🍃自己愛性パーソナリティ障害について、分かりやすく書かれてあります。


自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版) [ 狩野 力八郎 ]

コメント