スペインで「一日だけ行くならトレドへ」という言葉があるように、ポルトガルにも“その一日”を託すべき街があるとしたら、エヴォラなのかもしれない、とわたしは思う。
リスボンから南へ、バスに揺られておよそ一時間半。
窓の外の景色がゆっくりと色を変え、やがて、時が止まったような世界遺産都市が姿を現した。
観光名所以外では、人影がほとんどない。
グーグルマップを頼りに歩いていると、後ろから同じように歩いてきた若い男性が、笑いながら追い越していった。
「ねえ、ホント、誰もいないねえ」
その言葉に、わたしも思わず笑ってしまった。
静けさが街全体を包み込み、歩くたびに石畳を踏む自分の足音だけが響く。
16世紀に造られ、今も現役で使われている水道橋を見上げ、ジラルド広場のカフェや小さなショップを抜けていく。
すると突然、ローマ時代の気配が立ち上がった。
一世紀に建てられたというローマ神殿――長く「ディアナ神殿」と呼ばれてきた遺跡が、白い光の中に立っていた。

わたしがエヴォラを訪れた一番の理由は、この神殿に会うためだった。
パルテノン神殿ほど大きくはない。
けれど、二千年近い時を越えてコリント式の柱が並ぶ姿は圧巻だった。1755年のリスボン大地震でも大きな被害を免れたという。
いったい、どれほどの人が、この柱を見上げてきたのだろう。
エヴォラの旧市街には、中世からの街並みが色濃く残っている
白壁の家々、アズレージョ(装飾タイル)、鍛鉄のバルコニー。歩いているだけで、何百年という時間の中へ入り込んでいくようだった。
街が大きく栄えたのは15世紀から16世紀にかけて。ポルトガル王家がたびたび滞在し、「王家の街」として繁栄した。16世紀にはイエズス会によってエヴォラ大学も創設され、文化の中心地となったという。
エヴォラ大聖堂(セー)にも立ち寄った。

12世紀末から13世紀にかけて建てられた、ポルトガル最大級のゴシック様式の大聖堂だ。
時間の層が幾重にも重なり、自分の足音まで遠くへ吸い込まれていくような気がした。
1582年、日本からローマへ派遣された「天正遣欧少年使節」の少年たちも、この街を訪れたという。
遠い日本から海を渡ってきた少年たちが、四百年以上前、この街を歩いていた。彼らが見た光景は、今のわたしが見ているものと、どれほど違っていたのだろう。
そして、エヴォラで最も異色の場所へ向かった。
サン・フランシスコ教会に隣接する人骨礼拝堂だ。
16世紀、フランシスコ会の修道士たちによって造られ、壁や柱はおびただしい数の人骨で埋め尽くされている。

入口には、こんな言葉が掲げられていた。
「Nós ossos que aqui estamos, pelos vossos esperamos (ここにある我らの骨は、あなたたちの骨を待っている)」
あまりにも強烈な言葉だった。
本当ね、皆、骨になるのよね。
生きている間は、美しいとか醜いとか、お金があるとかないとか、成功したとか失敗したとか、いろんなことに一喜一憂する。
けれど、最後には、皆、同じように骨になる。
そんな当たり前の事実を突きつけられながらも、頭蓋骨が模様のようにびっしり並ぶ光景は、不思議なほど静かで、奇妙に美しかった。
怖いというより、ただ見つめていたくなる。その骨の持ち主と会話している気分になる。
わたしは、この場所を忘れられないと思う。
エヴォラは、派手さとは無縁の街だ。
けれど、その静けさの中に、ローマ時代から中世、そして現代まで、途方もない時間と人の営みが折り重なっている。
神殿を作った人も、大聖堂で祈った人も、遠い日本からやってきた少年たちも、名も残らなかった人たちも、もうここにはいない。
それでも、街は残っている。
ポルトガルで一日だけ、どこかへ行くなら――。
わたしは、迷わずこの街をお勧めするだろう。


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