退職まで2年間となった今感じること

エッセイ

 さて、わたしは、後、2年間働いて、仕事から退こうと思っている。

 投資や貯金、年金の額を考えると、もう一年だけ働いて辞めるのもありかな、と思うけれど、自分はやはり後2年間は働くだろう。

 よく、本やSNSで紹介されている、死ぬ時に後悔することの中に、

「あんなに働き過ぎなければ良かった」

 ということが入っている。

 退職後の夢を描いていた人が、59歳で不治の病を発症し、

 「わたしの人生は、こんなはずじゃなかった!」

 と、泣きながら死んでいった、というエピソードを読んだこともある。

 人生でやりたかったことをできずに死んでいかなければならないのは、本当に無念だろう。何のために今まで頑張ってきたのか、と嘆きながら死んでいかなければならないのは、想像しただけで胸がきりきりと痛む。

 しかし、子どもの頃、ひどい貧乏に苦しんだ自分からすれば、明日ご飯を買うお金がないとか、家賃を滞納していて立ち退きを命じられているとか、お金がなくて医療を受けられないとか、人間の尊厳を奪われるような過酷な労働に就かざるを得ないなどの悲惨さに比べれば、悲惨ではない。死ぬ直前まで、お金の苦労をしなくて済んだ、というのは、わたしには、それは、それだけで何かの恩寵のように感じられる。

 まあ、何をどう感じるかは、その人の価値観で決まるものだから、他人の所感について口出しすべきことではないな。

 わたしにも、幼い頃からの夢があった。しかし、それは、生活者として考えれば、どんなに努力したとしても、よほどの幸運に恵まれなければ成り立たない類のものだった。

 わたしにも、退職後に、残りの人生をかけて打ち込みたいことがある。しかし、例え、その前に命が尽きたとしても、それほど不幸だとは思わない。事務員という仕事をしてきて、子どもたちを育て、今も傍らには笑顔の夫がいる。生活に困らずに生きてこられた・・・。わたしは、それで十分幸せだ。

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