アラカン女性の40日間の海外旅行①

エッセイ

 長年働いた仕事を退職し、わたしは40日間をかけて、ポルトガルとスペインを旅した。

 40日間と言えば、学生の夏休みくらいの期間。

 南欧の太陽の下で、気が向けば美術館へ行き、疲れた日はカフェで本を読む。そんな旅を思い描いていた。

 ポルトガルはリスボンから北へ、スペインではアンダルシアからバルセロナまで巡った。

 移動は一部、LCCと電車に乗ったが、ほとんどはバスである。ネットで時間と料金を比較しながら予約し、バス乗り場に辿り着くのも一苦労だった。

 ところで、わたしは旅の真ん中で風邪をひいてしまった。最初は喉と鼻の奥が痛くなり、やがて夜中ずっと咳が止まらなくなった。薬局に何度も言って相談し、液体の咳止めをもらったが、夜中の咳は止まらなかった。

 体調が悪くなると、ささいなことでも辛くなってくる。

 食事に行けば、音を立てて食べないように気をつけたり、トイレの場所やチップのことを考えたり、スリに警戒して荷物をいつも膝の上に置いておかなければならない。

 円安で、何でも法外に高いことにも、少しずつ心が折れてくる。

 レストランで飲み物まで頼むと20ユーロ。日本円では約4,000円になる。しかも、出てくる料理が口に合うとは限らない。毎回、高価なくじを引いているような気分だった。

 また、病気になると、能力も器量も五割は落ちる。(元々の能力と器量はあるのか、という話は置いておくとして)

 目はしょぼしょぼして、鼻はかみ過ぎて赤く、表情もぼんやりしてくる。特に、わたしは咳がひどかったので、あまり言葉を発したくなかった。

 すると中には、気弱そうな、英語を話せなさそうなアジア人旅行者をあなどってくる店員も出てくる。

 席は空いているのに、10分くらい待たせられたあげく、キッチンはもう閉まっている、と言った若い男性店員がいた。「じゃあ、なぜ、他の客は食事をしているのか?」と顔を覗き込むと、ヘラっと笑って奥に引っ込んだ。すぐにマネージャーが出てきて感じよく対応してくれたが、食事の途中で腹が立ってしまい、「さっきのは差別か?そんなことをして何の意味がある?チップは払わない」と強い口調で言ってしまった。

 しかし、こういう対応はほとんどなく、あっても「こっちこそ願い下げよ」と心の中で呟き、別のレストランに行けばいいだけのことである。それほど体調が悪く、わたしに余裕がなかったのである。

 夜通し咳が止まらず、翌日は10時頃までベッドに横たわり、味噌汁やうどん、お握りのことを考える。

 身体がきつくても、出かけなければ、食事にありつけない。

 スペインは夕食は20時からが一般的らしく、それまで開かない店も多い。

 食料品店で、見たこともないカップラーメンをひとつ2ユーロ(約400円)で買い込み、部屋で啜ってみたが、スープは白く濁って、塩の味がするだけだった。

 もう中断して帰ろう、と何度も思いつつ、だらだらと旅を続けた。

 毎晩の激しい咳が響いたせいか、腰まで痛くなってきて、ベッドから起き上がる時に激痛が走るようになった。

 それでも、山の上のアルハンブラ宮殿は胸に沁み、フラメンコの裾裁きや足の動きから目が離せなかった。プラド美術館で、エル・グレコやゴヤ、ベラスケスの絵画をじっくり見ることができて幸せを感じた。

 サクラダファミリアで、美しい森のような神殿を見あげている時、ステンドグラスから陽の光が勢いよく入って来て、オーロラのような光線が広がった。

 その帰り、カタルーニャ広場近くの、ピンチョスの有名店に入った。

 一口食べると、涙が出てきた。美味しかったからではない。明日になれば、日本へ帰れる。その安堵が、急に込み上げてきた。目が合った店員が微笑み、ゆっくり視線を逸らした。

 空港に迎えに来てくれた、夫と娘の顔を見たとき、倒れそうだった。「お握りが食べたい」と言うと、娘が急いでコンビニで、鮭お握りととろろ蕎麦、おーいお茶を買ってきてくれた。わたしはお握りを両手で持って頬張り、垂れてきた鼻水を手で拭った。

 わたしは肺炎を起こしていて、二週間の療養となった。

 40日間で見た景色は、一生忘れないと思う。けれど、もう一度行くなら、今度は2週間くらいで十分だ。海外に行くことは、驚きと緊張の連続で、想像以上に神経をすり減らす。

 元気なうちに帰ってきて、「もう少しいたかった」と思えるくらいが、わたしにはちょうどいい。

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