歌舞伎とパルテノン神殿

エッセイ

 子どもの頃、わたしが憧れたものは、パルテノン神殿だった。

 当時、外国人と英語で文通することが流行っていて、ペンフレンドなどと呼んでいた。(今なら、メル友、だろう)

 わたしの母のペンフレンドはギリシャ人のカリスタという、眼科医だった。カリスタは、母への手紙の中で、わたしへのメッセージを忘れなかった。

 「辛いことがあったらギリシャにおいで。踊って、美味しいものを食べて、エーゲ海を眺めれば悩みなんてちっぽけに見えるはずよ」

 カリスタは、いつもそんなメッセージを小学生だったわたしに送ってくれた。

 わたしが20歳の時、バイトでお金をためて、カリスタに会いにギリシャへ行った。

 夏だったため、カリスタは真っ赤に日焼けし、ショートカットで、ポロシャツと短パン姿でゴルファーみたいにかっこよかった。

 あこがれだったパルテノン神殿に連れて行ってくれたが、

 「わたしがここに来たのは、小学校の時に歴史の勉強で来たきりだから、今日で2回目ね」

 と言い、わたしをびっくりさせた。確かに、アクロポリスの丘にあるパルテノン神殿はアテネの町のどこにいても見えるし、わざわざお金を払って近くまで見に来る必要はないのかもしれない、などと思いつつ、わたしはカリスタの気持ちをよく分かっていなかったと思う。わたしがアテネに住んでいたら、入場料を払ってでも、パルテノンを毎月でも見に来るだろう。そんなことを思った。

 さて、話は変わるが、仕事に就き、東京に出張するたびに、わたしは歌舞伎を見に行っていた。お金持ちの知人が、いかに歌舞伎が素晴らしいか頻繁に話すのを聞いていて、うらやましくて仕方がなかったのだ。「勧進帳」や「色男」、「獅子舞」も好きだけれど、わたしは「葛の葉」がすごく好き。華やかさはないけれど、狐のお母さんが、人間と狐の間に生まれた我が子のもとを去り、二度と会えないが狐の子と馬鹿にされないように頑張って生きていきなさい、と祈りを込めて踊るシーンは儚げで悲しく、母の思いが溢れていて胸を打つ。

 しかし・・・。15年前に、自宅からバスで20分のところに歌舞伎が見れる〇〇座ができた。〇〇座ができた途端、わたしは東京で歌舞伎を見ることはなくなり、〇〇座で歌舞伎を見たこともない。つまり、ありがたみが消えたのだ。

 〇〇座の前をバスで通る時、わたしはカリスタを思い出す。いつの間にか文通は途絶えてしまったが、元気にしているだろうか。

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