ひたすら長閑な我が家の正月

エッセイ

 正月って、本当にあっという間に終わる。

 幼い子どもの頃は、お年玉が貰えるし、服を買ってもらえるし、お雑煮は食べられるし、正月が来るのをワクワクして待っていた。親戚の家に行って、皆でトランプや花札をしたり。

 それが次第に新鮮さを感じなくなった。十代の半ばくらいで、わたしは正月にもクリスマスにも飽きてしまった。

 アラカンにもなると、仕事と家事で、一年は疾風の如く過ぎていく。正月なんて、一年の一瞬の区切りでしかなくて、虚しい感じすらする。

 しかし、年上の知り合いから良いことを聞いた。 退職すると、時間の経過が再びゆっくりとなるというのだ。

 退職したら思う存分、猫たちと遊び、料理とスポーツ、読書に浸りたい。そして、時々、カラオケ。カラオケで思い切り歌うと気分がスッキリするし、喉が鍛えられて嚥下障害の予防にもなるらしい。(「長生きをしたければ喉を鍛えなさい」という本も出版されている)

 練習の甲斐あって、カラオケのAI感性採点で95点を超えたのが、昨年の良い思い出。ウフフフ。こんなに褒められたのは、小学生の時以来じゃないかしら。(半世紀ぶり・・・)

 さて、毎年、我が家の正月は夫の栞作り作りから始まる。と言っても、卓上カレンダーの絵が描かれている部分を細長く切り取るだけ。1年は12ヶ月だから、12枚の栞ができる。

 「お母さんにも分けてあげるからね」

 何回か息子と娘に勧め迷惑そうな顔をされたため、夫はわたしにだけ声をかける。わたしが半分の6枚の栞をもらって、バックのポケットに入れると、夫は満足そうな笑顔を浮かべた。

 帰省していた子どもたちが雑煮を食べ、それぞれ友達と会いに出かけた後、夫と二人でテレビのニュースを見ていたら、一分ほど奈良の鹿の映像が流れた。

 「鹿は毛が短いし、寒そうだったね。瞳はつぶらでかわいいけれど」

 と、わたしが言うと、

 「え?今のは狸だったじゃないか。見間違うにもほどがあるよ、しっかりしてよ」

 と、夫から言われた。

 え?ナレーターは確かに「奈良の鹿」と言っていたのに。何だか悔しい気がするが、仕方がないので、

 「そうかも。狸だったかも」

 と、わたしは夫に微笑みかける。

 再びニュースに目を移すと、綺麗な生花を前に着物を着た女性が、

 「お正月なので、頑張って生け込みました」

 とインタビューに答えていた。

 「イケコム、ってどういう意味?」

 と、夫がお節をつまみながらきく。

 「込むって、中に入れるって意味よ。書き込む、とかっていうじゃない。お父さんも、「込む」が入った言葉を何か思いつかない?」

 「うーん」

 「思いついた?」

 「うん、思いついた」

 「何?」

 夫は、ふあーっと欠伸をした。

 「ドットコム」

 「・・・そうそう、そんな感じ」

 正月も、こんな風に、わたしたちアラカン夫婦は長閑な会話を始めるのだった。

 

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