アラカン女性の40日間の海外ひとり旅⑦~言葉の壁について~

エッセイ

 海外ひとり旅を考えたとき、多くの人が最初に不安になるのは「言葉」ではないだろうか。

 英語が話せないから無理かもしれない。 道を尋ねられたらどうしよう。 レストランで注文できなかったら……。

 そんな不安から、一歩を踏み出せない人も少なくないと思う。

 今回わたしが旅したのは、ポルトガルとスペインだった。

 事前に調べると、大都市では英語が通じると書かれていた。

 しかし、わたしの英語は中学生レベル。若い頃はもう少し話せていたはずなのに、単語も慣用句も、すっかり記憶の底に沈んでしまった。

 もちろん、ポルトガル語もスペイン語も話せない。

 それでも、「ありがとう」の オブリガーダグラシアス、 「こんにちは」「お願いします」「さようなら」など、基本の言葉を十個ほど覚えて行っただけで、旅はずいぶん気楽になった。

 ポルトガルでもスペインでも、「こんにちは」は「オラ!」だ。

 バルセロナの通りを歩いていたとき、落とした眼鏡ケースを拾ってくれた男性が声をかけてくれた。

「オラ! セリョーラ」

 思わず「グラシアス! セリョール」と返す。 たったそれだけのやり取りなのに、「あ、今わたし、スペイン語で会話できた」と胸の奥がふっと明るくなった。

 旅の思い出は、美しい景色だけではない。

 ほんの一言でも現地の言葉を口にすると、相手の表情がやわらぐ。その小さな変化が、旅を優しく彩ってくれる。

 英語の現地ツアーにも参加した。

 歴史や美術の専門用語はほとんど分からないので、イヤフォンから流れる説明をスマートフォンの翻訳機能で日本語に訳してもらった。長い説明は途中で途切れることもあったが、大まかな内容は十分理解できた。

 トレドでは、うっかりスペイン語ツアーを予約してしまった。それでも翻訳機能のおかげで困ることはなく、「便利な時代になったなあ」と何度も思った。

 言葉が分からなければ、嫌なことを言われても気にしなくて済む。

 その鈍感力も、ひとり旅では案外悪くない。

 レストランで注文を取りに来なければ、別の店に移ればいい。

 空港で言葉が出てこなければ、翻訳した文章をそのまま画面で見せればいい。

 完璧な英語を話そうとしなくても、たいていのことは何とかなる。

 リスボンでは、バスの運転手さんに片言の英語で「ベレンの塔に行きますか?」と尋ねた。運転手さんはうなずき、わたしは安心して席に座った。

 景色を眺めながらぼんやりしていると、運転手さんがふいに振り返り、

「ベレンの塔だよ」

 と笑顔で知らせてくれた。ほかの乗客が少し驚いたような顔をしていたのを覚えている。

 今でも、そのときの光景を思い出すと胸の中があたたかくなる。

 まるで近所の人が「着いたよ」と声を掛けてくれたような、ごく自然な笑顔だった。

 そして旅の終盤。グラナダの小さな雑貨屋で、忘れられない出来事があった。

 その頃のわたしはひどい風邪をひいていて、夜中は咳が止まらず、身体も心も弱っていた。食べ慣れたものを見ると、無性に恋しくなっていた。

 会計を待っていると、店員の女性が竹の皮に包まれたチマキを男性に渡している。

「あ、チマキだ!」

 思わずスマートフォンで「チマキ」の中国語を調べ、

「ツォンズ! ツォンズ!」

 と叫びながら財布を見せた。

 女性は一瞬驚き、次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。

「あれは売り物じゃないの。家族に作ったのよ。本当に美味しいんだけどね」

 中国語なので正確には分からない。

 それでも、そんなことを言っているような気がした。

 わたしが中国語を話せないことも、もちろん相手は分かっている。それでも、お互い笑って手を振り合い、店を後にした。

 チマキは買えなかった。

 でも、坂道を下りながら、あの笑顔のやり取りを何度も思い返していた。

 言葉は、完璧でなくてもいい。

 通じたり、通じなかったり。

 勘違いして笑われたり、身振り手振りで伝えたり。

 そんな小さな出来事の積み重ねが、旅を少しだけ豊かにしてくれるのだと思う。

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