海外ひとり旅を考えたとき、多くの人が最初に不安になるのは「言葉」ではないだろうか。
英語が話せないから無理かもしれない。 道を尋ねられたらどうしよう。 レストランで注文できなかったら……。
そんな不安から、一歩を踏み出せない人も少なくないと思う。
今回わたしが旅したのは、ポルトガルとスペインだった。
事前に調べると、大都市では英語が通じると書かれていた。
しかし、わたしの英語は中学生レベル。若い頃はもう少し話せていたはずなのに、単語も慣用句も、すっかり記憶の底に沈んでしまった。
もちろん、ポルトガル語もスペイン語も話せない。
それでも、「ありがとう」の オブリガーダ や グラシアス、 「こんにちは」「お願いします」「さようなら」など、基本の言葉を十個ほど覚えて行っただけで、旅はずいぶん気楽になった。
ポルトガルでもスペインでも、「こんにちは」は「オラ!」だ。
バルセロナの通りを歩いていたとき、落とした眼鏡ケースを拾ってくれた男性が声をかけてくれた。
「オラ! セリョーラ」
思わず「グラシアス! セリョール」と返す。 たったそれだけのやり取りなのに、「あ、今わたし、スペイン語で会話できた」と胸の奥がふっと明るくなった。
旅の思い出は、美しい景色だけではない。
ほんの一言でも現地の言葉を口にすると、相手の表情がやわらぐ。その小さな変化が、旅を優しく彩ってくれる。
英語の現地ツアーにも参加した。
歴史や美術の専門用語はほとんど分からないので、イヤフォンから流れる説明をスマートフォンの翻訳機能で日本語に訳してもらった。長い説明は途中で途切れることもあったが、大まかな内容は十分理解できた。
トレドでは、うっかりスペイン語ツアーを予約してしまった。それでも翻訳機能のおかげで困ることはなく、「便利な時代になったなあ」と何度も思った。
言葉が分からなければ、嫌なことを言われても気にしなくて済む。
その鈍感力も、ひとり旅では案外悪くない。
レストランで注文を取りに来なければ、別の店に移ればいい。
空港で言葉が出てこなければ、翻訳した文章をそのまま画面で見せればいい。
完璧な英語を話そうとしなくても、たいていのことは何とかなる。
リスボンでは、バスの運転手さんに片言の英語で「ベレンの塔に行きますか?」と尋ねた。運転手さんはうなずき、わたしは安心して席に座った。
景色を眺めながらぼんやりしていると、運転手さんがふいに振り返り、
「ベレンの塔だよ」

と笑顔で知らせてくれた。ほかの乗客が少し驚いたような顔をしていたのを覚えている。
今でも、そのときの光景を思い出すと胸の中があたたかくなる。
まるで近所の人が「着いたよ」と声を掛けてくれたような、ごく自然な笑顔だった。
そして旅の終盤。グラナダの小さな雑貨屋で、忘れられない出来事があった。
その頃のわたしはひどい風邪をひいていて、夜中は咳が止まらず、身体も心も弱っていた。食べ慣れたものを見ると、無性に恋しくなっていた。
会計を待っていると、店員の女性が竹の皮に包まれたチマキを男性に渡している。

「あ、チマキだ!」
思わずスマートフォンで「チマキ」の中国語を調べ、
「ツォンズ! ツォンズ!」
と叫びながら財布を見せた。
女性は一瞬驚き、次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。
「あれは売り物じゃないの。家族に作ったのよ。本当に美味しいんだけどね」
中国語なので正確には分からない。
それでも、そんなことを言っているような気がした。
わたしが中国語を話せないことも、もちろん相手は分かっている。それでも、お互い笑って手を振り合い、店を後にした。
チマキは買えなかった。
でも、坂道を下りながら、あの笑顔のやり取りを何度も思い返していた。
言葉は、完璧でなくてもいい。
通じたり、通じなかったり。
勘違いして笑われたり、身振り手振りで伝えたり。
そんな小さな出来事の積み重ねが、旅を少しだけ豊かにしてくれるのだと思う。

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