とてつもなく美しい蜘蛛の巣

エッセイ

 わたしが5、6歳の子どもだった頃、友だちと林の中で、よく女郎蜘蛛の巣を眺めていた。

 子どもながらに、細くて透明な糸を尻から出し、あんなに綺麗に大きな巣を作れることに感心していた。誰に習ったわけでもないのに。 

 今、Yahooの知恵袋を覗いたら、

 「蜘蛛の巣を破壊すると蜘蛛は泣きますか?」

 という質問に、

 「ギャン泣きです。」

 と、答えている人がいた。おそらく、質問者は子どもで、回答者は大人であろう。しかも、その大人は、蜘蛛に一目置いている人ではないだろうか。こういうことがあるからSNSの世界は面白い。

 わたしも、まさに、こんな質問を思い浮かべる子どもだった。昆虫の中で、蜘蛛だけは尊敬していた。今、思い出しても、職人技のよう。

 さて、子どもだったわたしと友だちは、大きな蜘蛛の巣に向かって、直径2、3ミリほどの細くて軽い枝を投げてみた。巣に飛び込んで引っかかった枝を獲物かと思い、蜘蛛は即座に飛びかかる。そして、ただの枝だと分かった蜘蛛は脚をゴソゴソ動かし、枝を巣から落とすのだった。

 2回目投げると蜘蛛は飛びかかるが、枝を落とすことはなかった。3回目は枝に飛びかかりもしなかった。蜘蛛は学習するのである。

 また、雨に濡れた蜘蛛の巣は、水滴でキラキラ光って、小さなダイヤモンドをいっぱい付けたレース編みのよう。濡れた蜘蛛の巣と虹、流れ星は、儚げで美しく、出会えるたびに奇跡という言葉を小さな腕で抱きしめた子ども時代。

 あ、今、思ったのだけれど、レース編みって、蜘蛛の巣から着想を得て、始まったのではないかなぁ。

 

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