喉に刺さった魚の骨

エッセイ

 わたしは小さな漁村で生まれ育った。 

 生活はすごく貧しいものだったけれど、物心ついた時から11歳まで同じ場所に住めたのは、今思えば幸せだった。自分の中に原風景を持てた。

 その原風景は水彩画のように素朴で、懐かしい。駆け回った野原や小学校までの道のり、顔も名前も忘れてしまったが、友達とキャンプや海に行ってはしゃいだ思い出。通った図書館やプール、習字教室・・・。

 でも、借家は小さな二間で、わたしの勉強机は暑くて寒い玄関に置かれ、毎日、五右衛門風呂を沸かして入っていた。

 小学校に上がった頃、一人っ子だったわたしは野良犬の次郎と兄弟のように仲良しになり、10円の酒まんじゅうを3個買って、2個は次郎に食べさせていた。放課後はいつもいっしょに野原を駆け回った。シロツメグサで首飾りを作り、次郎の首にそっと掛けると、次郎も目を細めてわたしを見上げた。放し飼いのスピッツ二匹から追いかけられた時も、次郎が走ってきて、わたしの隣でうなって追い払ってくれた。

 しかし、まもなく近所の人が通報し、次郎は保健所に連れていかれてしまった。それを知った瞬間、わたしの中で何かが崩壊した気がする。

 それから3回転校し、今住んでいる街に落ち着いて、あっという間に40年もの年月が過ぎてしまった。親類も友達もいないけれど、5年に一度は故郷の漁村を訪れている。子どもの頃、行ったことのあるうどん屋やラーメン屋、お好み焼き屋。そして、村に1店舗しかなかったケーキ屋。そのケーキ屋では、ケーキセットが今も600円で、甘さ控えめのショートケーキが素朴で美味しい。わたしの家は貧しかったから、当時はめったに食べられなかったけれど。

 貧しくはあったが、漁村だから、フグやマグロ、イカ、タコ、ウニなど美味しい海鮮をたくさん食べていた。(部位によってはかなり安く買えたようだ)

 醬油に浸けた鯛の刺身をご飯に載せ湯をかけ、ゴマと海苔を散らした鯛茶漬けも絶品だった。季節になるとフグの刺身や鍋をもみじおろし醤油でお腹いっぱい食べられた。欧米の人は怒るだろうけれど、総菜屋で売っていた、茶色の紙の袋に入ったク○ラの竜田揚げの味わい深さは忘れられない。

 子供の頃、魚ばかり食べていたわたしは、よく小骨が喉に刺さって痛い思いをした。大量のご飯を飲み込むととれる、という、今思えばちょっと危険な方法にトライさせられたこともある。

 魚の骨が刺さった喉の痛みって、心の痛みに似ている。なかなかとれない、ちくちく続く痛み。

 先週、わたしは久しぶりに煮魚の骨が喉に刺さり、耳鼻咽喉科に行った。

 耳鼻咽喉科の先生はわたしの口から細いカメラを入れて、喉の奥を見てくれた。

 「先生、痛いのは、喉ぼとけのちょっと下の方です」

 すぐにカメラが外されたので、慌てて説明すると、

 「耳鼻咽喉科的にはここまでしか見られないんです。あなたがおっしゃっている部位は内科で見てもらってください」

 と、先生はカルテを閉じた。

 窓口で5千円近くを支払いながら、何だか悲しかった。

 

 

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