荷風の文章は、ずるい。
わたしは長らく、永井荷風の作品を敬遠してきた。
文語体で、美文調で、読み切るのが難しそうだと思っていた。
けれど、本は、開いてしまえば終わる。
そう思って、ページをめくった。
パリに行った記憶が、まだ新しい。
カフェの赤いオーニングと石畳。街中に散りばめられる繊細な彫刻。
だから、ゾラとロートレックがいた時代の空気を、知りたかった。
もちろん、ゾラの小説にもパリはある。
しかしそれは、呼吸のようなものだ。
ことさらに街を描こうとはしない。
日本の作家が、日本の風景をわざわざ書かないのと同じように。
けれど、荷風の「ふらんす物語」には、街がある。1900年初頭のパリやリヨンが、ふと、浮かび上がる。
しかもそれは、絵のようで、音楽のようだ。
まだ庶民が海外に行けなかった時代に、彼はニューヨークやパリで暮らし、孤独を抱えながらも、女性と交わり、街を歩いた。
地主の家に生まれ、父親は上級官僚。大学を出て、英語もフランス語も操り、企業に勤める。
生涯、結婚もせず、家庭も持たず、孤独だったのかもしれない。
それでも、金に困ることなく、好きな小説を書き続けることができた。
――やはり、羨ましい。
だが、荷風の小説は、決して気取っていない。
パリジェンヌに投げキスして無視され、気恥ずかしさに立ちすくみ、金を介して親しくなった女性の客に嫉妬し、日本に帰りたくないと駄々をこね、友人のエリート主義に反発し、恋にやつれて死にたいと書く。
どこかで、クスッと笑ってしまう。
それでも。
「暖炉の傍の椅子から立って窓から見下ろすと、霧立ち込める街の面は、祭りの夜に異なる燈火のきらめき、往来の人の影。」
そんな文章が、ふいに現れる。
何度もページを開く。
時間を忘れる。
だが、この本は、長く発禁であった。
体制への批判と、風俗の描写ゆえに。
悔しかっただろうな、荷風……。
そう思いながら、またページを開く。
パリの夜は、まだ終わらない。

👉こういう文章に出会うと、何度もページを開きたくなる。
ふらんす物語 (新潮文庫 なー4-1 新潮文庫) [ 永井荷風 ]
👉パリに触れられる本です。
まっぷるWORLD パリ・フランス [ 昭文社 旅行ガイドブック 編集部 ]

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