日々、何かしら発見がある

青ガエル エッセイ

 アラカンになっても、日々、発見がある。

 わたしと夫が住んでいるのはアパート(アパートと呼ぶと侘しく響くが、アパートメントと呼ぶとそれなりな感じがする)の8階。ある雨が降った翌朝、ベランダに置いていたサンダルのくぼみに小さな水たまりができていて、その中に青ガエルの子どもが浸かっていた。「おはよう」と声を掛けると、にっこりとわたしを見上げた。子どもって、哺乳類でも爬虫類でも、両生類でも、なんでもかわいい。

 しかし、こんな小さなカエルが、アパートの8階までどうやって、やってきたのだろう・・・。

 わたしはしばらく幸福な気持ちになって小さな青ガエルを見つめた後、そっと手で包んで1階に降り、草むらに放した。

 青ガエルと言えば、悲しい思い出がある。わたしが5歳くらいだった頃、秋に拾ってきた青ガエルが洗濯機の裏に入り込み、そのまま冬眠してしまった。わたしは一人っ子で鍵っ子で寂しい毎日を送っていたので、洗濯機の裏のカエルに毎日話しかけていた。もちろん、カエルは話せないし、おまけに冬眠していたので、わたしの話を聞いてくれたこともなかっただろう。

 やがて春が来て、わたしはカエルのことを忘れていた。母親がよそってくれた熱々の味噌汁の椀に手を掛けた時、いつの間にか冬眠から目覚めていた青ガエルがテーブルの上にいて、わたしの味噌汁の中にダイブ!そのまま、浮き上がり伸びて死んでしまった。あの小さな友達が亡くなった瞬間の胸の痛みは今でも忘れられない

 そして、今朝。バスに乗ったら、二人掛けシートで、日本人男性と白人女性の若いカップルがいて、白人女性は寝そべる形で男性の膝に自分の足を置いていた。そして、「ドント タッチ ミー!」と1分おきくらいにもったいぶった口調で言い、男性は困惑気味にうつ向いていた。シュールだ。

 アラカンになっても、日々、想像がつかない光景が飛び込んでくる。

 

コメント